99匹の羊と1匹の迷いでた羊
イエスのたとえ話はとても興味深く考えさせられることがたくさんあります。今日は99匹の羊と1匹の迷いでた羊の話を紹介してみたいと思います。
弱肉強食や生存競争や自然選択という概念が、生物学の進化を説明する教科書には載せられています。この考え方は、たまたま環境に適した個体群が、生存競争に勝ち残って、後まで残るという考え方です。
良いものが生き残るという考え方は、人間的な価値観からすれば、とてもいやなものに見えるという人も多いと思います。なぜなら、人間は弱い立場の人を思いやるという行為を日常的に行っているからです。そしてその気持ちを大切にします。
イエスはこんな質問を投げかけます。
あなた方はどう考えますか。ある人が百匹の羊を持つようになり、そのうちの一匹が迷いでるなら、その人は九十九匹を山に残し、迷いでているものを捜しに出かけないでしょうか。
(新世界訳聖書 マタイによる書18章12節)
九十九匹の羊というのは、羊飼いにしっかりとついてきた羊です。羊飼いの導きを頼りにして、しっかりと羊飼いの後を突いていきました。
でも、一匹の羊は迷いでてしまいました。羊飼いを見失って迷子になってしまったのかもしれません。九十九匹の羊と比べれば、しっかりしてはいなかったといえます。
けれども、羊飼いにとっては全員が大切な羊です。そのひとつを見捨てることなど到底できません。また羊飼いは、強い羊と弱い羊を比較して、強い羊のほうだけを大切にするということもしません。
「あの兄弟は模範的だけれど、あの兄弟はだめだなぁ」という態度をとったりはしません。
本当に愛ある羊飼いは迷いでた羊を探しに行きます。
そして、うまくそれを見つけるなら、あなたがたにはっきり言いますが、その人は迷い出なかった九十九匹のこと以上にその[羊]のことを喜ぶのです。
(新世界訳聖書 マタイによる書18章13節)
そして、見つかったならその羊のことで大いに喜びます。迷子になった羊がもう一度群れに戻ってくるのはとてもうれしいことだからです。
学校や会社で生活になかなかうまく溶け込めない人がいますか。孤立してしまって、どうもうまくいかないということで悩んでいる人はおられませんか。受験競争やよい職を得るための競争で幻滅や疲れを感じている人はいませんか。
聖書を読んで、イエスの人を思いやる気持ちについて学ぶと本当に慰められます。
初めて聖書を読む人は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと呼ばれる四つの福音書を読んでみることが私の個人的なお勧めです。エホバの言葉を地上に来て伝えるイエスの優しさを知ることができる書物です。