わたしたちは彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです

 僕たちはどのような経路で愛について知ったでしょうか。まず最初に自分自身が神を愛し始めたのでしょうか。

 いいえ、最初は僕にとっては神はどうでもよい存在でした。僕の生活にとっては、神はいないも同然でした。僕は自分自身を楽しませることに没頭していたのです。

 ある日エホバの証人の伝道者の方が扉をノックしました。それからだんだんと神の愛とキリストの愛について知るようになっていきます。

 僕が神の愛について知ったのは、まさに会衆からでした。そこは暖かいクリスチャン愛に包まれていて、確かにそこには神の愛が育まれていることを知りました。

 子どもたちにとっても、新しく集会に参加する人にとっても、とても暖かく穏やかな空間でした。会衆の人たちを通して僕は愛を知り、聖書を実際に学ぶことで、エホバとイエスの愛についてもよく知るようになりました。

 エホバとイエスが会衆の兄弟・姉妹たちに愛を示しておられたこと、そして兄弟・姉妹たちが僕に愛を示してくれたこと、そのようにして僕は、仲間の兄弟・姉妹とエホバとイエスを愛するようになりました。

 僕がまず愛を示したのではなくて、僕は愛を示されたので、愛するようになったのです。まさに聖書に書かれているとおりです。

 わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです。
(新世界訳聖書 ヨハネの第一の手紙4章19節)

 僕は子どもたちにぜひ神の愛について知ってほしいと願っています。でも実際には、神や人への恐れを過度に覚えてしまって、聖書を学ぶことが苦痛になっている子どもたちもたくさんいるようです。

 僕たち大人はどんな点で愛を示すことができるでしょうか。まずは子どもたちは大人と同じようにすることはできないということを知ることです。教えるにしても、少しづつきちんと吸収できる分量を考える必要があります。

 次に他の子どもたちと比べないということです。自分だけができないということにひどく落胆した経験はありませんか。子どもたちは「自分にはできない」ということに大きなショックを受けます。そのことで親が落胆するとさらにショックは大きくなります。

 子どもたちは多くの励ましを必要としています。ぜひ「あなたにはこんな良い面があるよ」ということを気づかせてあげてください。

 子どもたちと一緒にいることができる時間はそれほど長くありません。成長すると子どもたちは自分の信仰にしたがって、自分の生き方を決めることになります。

 たくさんの若い人たちが神の愛について知ることができますように。