種まき人のたとえ話

 イエスのたとえ話は大好きですが、特にお気に入りは、種まき人のたとえ話です。研究生の方であれば、聖書を学んで、それが真理だと確信したとしても、エホバの証人として生きてゆこうと決意するまでは、とても悩むと思います。

 僕にとってもバプテスマを受けるというのは大きな決断でした。よく種まき人のたとえ話を読んでは、葛藤していたのを思い出します。

 イエスはこんなたとえ話を人々にし始めます。

 種まき人は種をまきにでかけました。
(新世界訳聖書 ルカによる書8章5節)

 ここでイエスが言っている種というのは神の言葉のことです。種まき人というのは、み言葉を宣べ伝える人のことです。

 人々は神の言葉にどのような反応を示すでしょうか。まかれた種はどうなってしまうでしょうか。

 ある種は鳥に食べられしまいます。

 道路のわきに落ちて踏みつけられ、天の鳥がそれを食べてしまいました。
(新世界訳聖書 ルカによる書8章5節)

 鳥はサタンのことで、サタンがやってきてみ神の言葉を取り除いてしまいます。

 ある種は、芽を出しますが、岩の上に落ちたのですぐに枯れてしまいます。

 水気がないので干上がってしまいました。
(新世界訳聖書 ルカによる書8章6節)

 これは神の言葉が、心に浸透しなかった状態です。しっかりと根を深くはっていないので、神の言葉は成長せずに枯れてしまいます。

 ある種は、途中まで成長しますが、いばらがそれ以上の成長を阻んでしまいます。

 一緒に成長するいばらがそれをふさいでしまいました。
(新世界訳聖書 ルカによる書8章7節)

 これは、神への信仰はあるのだけれど、富や快楽への愛も共に成長させてしまったので、すっかり神の言葉はふさがれてしまい、成長できない状態です。

 最後に、良い土に落ちた種はたくさんの実を生み出しました。

 百倍の実を生み出しました。
(新世界訳聖書 ルカによる書8章8節)

 僕はせっかく神の言葉を学んだので、イエスの言われる百倍の実を経験したいと思いました。神の言葉をすっかり受け入れてしまうと、イエスの言われるとおり本当に多くの喜びや幸福が芽生えます。

種まき人のたとえから学べること

 もし聖書研究をしている方がいるならば、この種まき人のたとえからいくつかのアドバイスを得ることができます。

 ひとつ目はサタンに注意するということです。聖書を学ぶことをやめさせよう、神から引き離そうという力がどこからともなく働いてきます。でもそこで踏ん張って、ぜひ聖書を学ぶことを続けてみてください。

 二つ目は、聖書を学んでいるうちに、試みの時期が訪れるということです。神の言葉をある程度受け入れているのですが、辛いことがあるとすぐに、神の言葉から離れてしまうとうことがあります。そんなときはゆっくりでもよいので、聖書研究を続けてください。

 三つ目は、富や快楽への愛に執着してしまうとと神の言葉が実を結ばなくなってしまうということです。時間をかければ必ず乗り越えることができるので、祈りながら、神について学び続けるようにしてください。

 この三つを乗り越えれば、本当に神の言葉は良い実を結びます。あなたも百倍の実を結んでみたいと思われませんか。