義者と不義者の復活がある

 亡くなった人ともう一度会いたいと思うことはありませんか。特に事故や思ってもいない形で愛する家族を亡くしたとくときは、もう一度会って話をしてみたいと思うのではないでしょうか。

 聖書には復活の希望が書かれています。過去に死んだ人たちの復活が近い将来に起こるという希望です。でもすぐに会いたいという気持ちも強くて、待ち遠しくて辛いという気持ちも強いのではないかと思います。

 でもこんな場面を想像してみてください。将来復活が起こって、愛する家族と再会することができます。いろんなことをもう一度話すことができます。その喜びは、何にも代えがたいくらい大きいものです。

 とてもとてもうれしくて、感激にあふれて、みんなで神を賛美しています。今まで信じてきたことが実現する瞬間です。信仰を強くすれば、今そのことで喜ぶことができます。

 復活はイエスに信仰を働かせた人だけに起こるのではありません。エホバやイエスについて知らなかった人も復活します。これはサタンの支配する世で、ひどい人生を余儀なくされた人々へのエホバからの補償です。

 しばらくの間神はサタンに支配を許されていましたが、その支配の終わりのときには、サタンがもたらした苦しみや死を帳消しにしてくださいます。そのときには、きっとすべての人がエホバの栄光を目にすることでしょう。

 それで聖書には義者と不義者の復活について書かれています。

 そしてわたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望はこれらの[人たち]自身もやはり抱いているものであり,義者と不義者との復活があるということです。
(新世界訳聖書 使途たちの活動24章15節)

 この聖句が意味していることは、神の目から見て正しい人たちだけの復活ではなくて、そうではない人の復活もあるということです。神は公平な方です。神は義なる方です。神はすべてのものの主権者です。ご自分の存在を知らせないままにして終わらせることは決してありません。

 僕たちエホバの証人は復活の希望について知っていて、神が死を取り除いてくださるということも知っています。復活の希望は、悪を行わせようとする力に対抗するための神の力となって僕たちを勇気づけます。

 死に対しても勝利をおさめることのできる神に信頼をおくと、とても力強い気持ちになります。