自分の兄弟を憎む者は人殺しです

 自分が嫌なことをされたときに、その人のことを恨んだり、憎んだりするというのは、かなり一般的な感情ではないでしょうか。

 自分のせいではないことで、ひどいことをされたときは、その人に対して憎しみの気持ちが沸き起こってきます。「なんてひどい人だ」「許せない」「どうしてあんな立場にいるのかしら」とだんだんと思考がマイナスの方向に向かっていきます。

 苛立ちをどこにも持っていくことができないときは、なおさら苦しくて強い感情が高まってきます。

 でもそんなときは、ふっと立ち止まってみましょう。聖書は人を憎むことについてどんなことを教えていますか。イエスの弟子のヨハネは、神の霊感を受けて、こんなに厳しいことをいいます。

 すべて自分の兄弟を憎むものは人殺しです。
(新世界訳聖書 ヨハネの第一の手紙3章25節)

 どういう意味でしょうか。

 エホバの観点から見れば、おきてのうちに留まるということが、命を得るための条件です。では、エホバが人に与えた最大のおきてとは何だったでしょうか。

 それは、「神と隣人を愛する」ということです。愛のおきては、最大のおきてです。その他の義の基準を守っていたとしても、愛がなければ何の意味もありません、とイエスの弟子のパウロはいいました。

 兄弟を愛するというおきての中にとどまっていなければ、その人にとって命はないのです。また憎むことによって、他の兄弟の愛の気持ちを失わせたり、奪い取ったりしてしまう危険があります。

 憎むことは、将来の約束された命を奪ってしまいかねない行為です。それで「人を憎むことは人殺し」です。

 では、憎いという感情に実際に対処するためには、どのようにすればよいでしょうか。いくつか書いてみます。

 一つ目は、エホバに祈りの中で、その人の許しを求めることです。エホバとの関係を損なってしまったのは、実際はあなたではなく、よくないことをしたその人なのではないでしょうか。

 それでエホバに、その人を許してくださいとお願いするのです。イエスは、迫害したもののために祈りなさいといわれました。そのように祈るとき、きっとエホバはあなたに平安を豊かに与えてくださるでしょう。

 二つ目は、その人を憎むのではなく、悪魔サタンを憎むということです。サタンは、人を悪い方向に誘導して、クリスチャンの仲間を用いて、危害を加えようとすることがあります。それは、僕たちの心を本当に痛めるものです。

 僕たちは、そのサタンの手口を知らないわけではありません。ですから、その人を憎むのではなく、黒幕であるサタンを憎むようにしましょう。エホバがサタンを憎む、その気持ちを、僕たちも同じように持つようにするのです。