すべてのことにおいて正直に行動したいと願っています

 多くの人は正直に行動したいと願っているものです。嘘をついて生きていきたいと思っている人はまれだと思います。

 でも実際に世の中にでてみると、たくさんの不正直に直面して、びっくりしてしまいます。

 ある人は、ある程度は不正直であることでより多くの利益を会社にもたらすことができると信じています。またある人は、不正直であることは、上司や顧客には絶対ばれることはないので、不正直でいたようがよいと考える人もいます。

 多くの人が不正直であれば、正直でありたいと願っていても、その影響力に飲み込まれて、不正直が身についてしまいがちです。

 たとえば「この嘘はこの人の心を傷つけないから」とか「今はこういっておいたほうがよい」と考えて、嘘をついたときに自分を正当化してしまうということは、僕たちの生活の中でもあるのではないでしょうか。

 「この嘘はよい嘘だ」と嘘をついた自分を慰めてしまいます。「辛いのに辛くない」といってしまったり、「疲れているのに疲れていない」ということはありませんか。ある嘘についてはよい嘘だと考えてしまう自分はいませんか。

 聖書は正直さについてなんと述べているでしょうか。イエスの弟子であるパウロは自分の心についてこう述べています。

 わたしたちのために祈りつづけてください。わたしたちは正直な良心を抱いていると信じています。すべてのことにおいて正直に行動したいと願っているからです。
(新世界訳聖書 ヘブライ人への手紙13章18節)

 パウロは「すべてのこと」において正直に行動したいと述べています。

 生活の中で完全に嘘をつかないということは不可能だと僕は思います。

 でも自分の心を正直に吟味して、自分はどんなときに嘘をついているかなぁと黙想してみれば、つかなくてもよい嘘は減らすことができるんじゃないでしょうか。

 サタンは嘘つきでした。嘘をついてエバをだまし、善悪の木の実を食べさせました。世は悪魔サタンの支配下にあるので、嘘という手段が世の中で多く見られるのも不思議ではありません。

 僕たちはサタンの手口について知らないわけではないので、心の準備をしておくことができます。

 反対にエホバは正直な方です。エホバが語った言葉は必ず果たされるからです。僕たちは正直であることによって、エホバのお名前を賛美することができます。

 また、正直であることによって、清い良心も得ることができます。すがすがしい心は、一生の宝になると思います。