自分を神の愛のうちに保ちなさい

 神の愛、それはとても大きなものです。エホバは、ご自分のみ子を罪のなだめのための犠牲として与えてくださいましたし、イエスを通して永遠の命のための言葉をも僕たち人間に与えてくださいました。

 神の愛を聖書を通して知ったので、神を愛するようになって、バプテスマを受け神に献身しました。

 神を愛しているので、神が憎まれることを行いたいとは思いません。神を愛しているので、罪を犯したいとは思いません。神を愛しているので、近づき親しい関係を持ちたいと思っています。

 神を愛しているので、「隣人を愛さなければならない」というおきてに進んで従うことができます。神を愛しているので、神の創造物である人間に愛を示すことができます。

 妻を愛し、夫を愛し、子供たちを愛し、兄弟・姉妹たちを愛し、区域で出会う人たちに愛を示します。

 神を愛しているので、神の創造物である、宇宙や地球、自然環境、食べ物や飲み物、目にする美しいもの、結婚関係、子供たちを喜びたいと思います。

 神は創造のとき、ご自分の造られたすべてのものを「非常によかった」といわれたので、同じ見方を保ちたいと思います。

 神に深い愛と感謝を示して、自分を神の愛のうちに保ちましょうというのが、聖書の教えになっています。

 愛するものたちよ、あなた方は、自分の抱く極めて聖なる信仰の上に自らを築き上げ、聖霊をもって祈ることにより、自分を神の愛のうちに保ちなさい。
(新世界訳聖書 ユダの手紙20-21節)

 自分を神の愛のうちに保つことが、自分を罪から守る最もよい手段だと僕は思っています。神を愛していれば、神がしてほしくないと言われたことをしたいと思わないからです。

 ある人はたばこをすっていましたが、恋人がぜんそく持ちであるということに気づくと、進んで煙草を吸うことをやめました。恋人を愛していたからです。

 何かの義務感というよりは、恋人への愛に動かされたのでした。その決定はとてもよいもので、ふたりに大きな満足をもたらしました。

 僕たちは聖書を学ぶときに、何か法律を守るかのようにして神の義を守る必要があると考えてしまう傾向があります。重荷や規則のようなものとして、神の義を守るのでしょうか。

 いいえ、そうではなくって、守る動機は神への愛です。エホバとみ子イエスの大きな自己犠牲的な愛を知って、エホバとイエスを愛するようになったので、神が憎まれることをしたくはないと思うようになったのです。

 この最初に抱いた愛を最後まで保っていくことができれば、困難が多い時代でも、大きな満足感や喜びを持って、最後まで忍耐していくことができると思います。