年長の男子を厳しく批判してはなりません

 聖書の中で一貫している原則のひとつは、年長の人に対しては敬意を払う必要があるということです。 

 モーセの律法では、自分の父と母を敬うことは、命の日を永らえさせることと結び付けられていますし、イエスパウロも父、母、年長の人を敬うようにと教えています。

 お父さんやお母さん、年上の人の話に耳を傾けてみるとう態度は、エホバの目から見て義にかなったことです。これは、約束を伴ったエホバからの最初の命令だからです。

 僕たちは聖書を学んでいるので、年長の人に対しては敬意を払いたいといつも思っています。

 でも、それが難しく感じるときもあります。ほとんどの場合は間違っていることを教えられていると感じるときではないでしょうか。

 たとえば、いらいらして声を荒らげながら、聖書に書いてあるのだから守りなさいと言われたらどうでしょうか。

 反発を覚えて、「どうして聖書には温和さや辛抱強さや愛について書かれているのに、そんな風な言い方をするの」と思ってしまうのではないでしょうか。

 それで、心の中で強い批判を加えたくなります。

 聖書はなんと述べていますか。聖書はこのようなアドバイスをします。

 年長の男子を厳しく批判してはなりません。むしろ、父親に対するように懇願し(なさい)。
(新世界訳聖書 テモテへの第一の手紙5章1節)

 反発や批判というのは、注意しないとすぐに陥ってしまう罠になります。自分には愛があって理性的な判断をしている思っていても、批判を繰り返すならば、悪魔の側に加担することになってしまいます。

 僕はこの点において不完全な人間ですが、サタンの側にいたいとは思いません。

 エホバが聖書で伝えてくれている良い方法は、懇願することです。つまり、敬意をこめて率直にそのことについて思いを伝えることができるということです。

 日本の文化では、上司の意見と異なる意見を言うことは不敬な態度だとみなす傾向があり、多かれ少なかれエホバの証人は世の傾向を吸い込んでいます。

 聖書の原則に従って、敬意をこめて自分の意見を言ったときに、嫌な顔をされるということがあるかもしれません。

 そんなときに僕がいつも行うのは、エホバに祈ることです。

 「神のご意志が行われますように。僕の言い方に非があったかもしれません。あの場面でいう必要はなかったのかもしれません。今度は兄弟とよい話合いを行うことができますように。会衆が聖書の正確な知識にそって、成長していくことができるようにどうか支えてください。」

 エホバを愛して、エホバにより頼んでクリスチャンの生活を続けていくなら必ずエホバは助けてくださいます。