幸せって何だろう

 幸せってなんだろう。物質的に満たされていることかな。心が充実していることかな。神は人の幸せをどんなものと見ているのでしょうか。

豊富な食料

 神は人間を創造して、地球上に置かれました。そこは豊富な食料が満ちた場所でした。
 エホバは、お腹がいっぱいになるまで、園にある木の実を食べてよいと人間に言われました。

 「園のすべての木から、あなたは満ち足りるまで食べてよい。」
(新世界訳聖書 創世記2章16節)

 人は物によって幸福を得ます。それはエホバ神が望まれたことでもありました。

 お腹をすかせたままでいるなら、いくら精神的に満たされていようとも、幸福な気持ちになれません。

神からのものを喜ぶ

 エホバ神は人のために、美しいものや喜ばしいものをたくさん創造されました。

 また、人はみな、食べ、まさしく飲み、そのすべての骨折りによって良いことを見るべきであるのを知るようになった。それは神の賜物なのである。
(新世界訳聖書 伝道の書3章13節)

 いつも目にしているもの、それは神からのプレゼントであるということです。何気なく使っているものや、普段は気にしていないもの、当たり前のように思っているもの、それらすべての源は神にあります。

 神に感謝して喜ぶということが、人にとって幸福なことであります。

物質や富を過度に追求しない

 物資が神からのものであることを忘れて、人間の欲望を遂げることだけに注意が向けられたらどうでしょうか。それは神の目からみて嫌悪すべきものです。

 ですから,淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい。
(新世界訳聖書 コロサイ人への手紙3章5節)

 聖書は決して物質に対する欲求がよくないものであるとはいいません。健康、病気にならないこと、長く続く命、豊富な食料、異性に対する関心、結婚、子どもなどは、神が人間が喜ぶために用意されたものでした。

 パウロは人間が追求する過度の欲望について警告を行っています。幸せでいるためには、神を無視したもの、神が憎まれるもの、神の義の基準を超えたものについては、避ける必要があります。

 生活を簡素でシンプルに保てば、驚くほど多くの重荷から解放されます。

 アダムは神の言葉を超えて、自分の欲望を遂げたため、命を失って死んだということは、僕たちにとってよい教訓となっています。

神の言葉を守ること

 神の言葉を守るということが、人が幸福であるための条件です。

 イエスは神の言葉を守っている人こそ幸せだといいます。

 神の言葉を聞いてそれを守っている人たちこそ幸いです!
(新世界訳聖書 ルカによる書11章28節)

 神の言葉に従い、神の義の基準の中に留まることが幸福の条件です。

神の義を第一に求める

 神の義は大切なものです。まず神の義を第一に考えるということが必要です。

 アダムは「善悪の木の実を食べてはならない」というエホバの義の基準を第一にしないで、「その実を食べたい」という自分の欲望を第一にしました。

 その結果永続的な幸せは失われてしまいました。永続的な幸せのためには、どうしても神の義を第一にするということが必要になります。

 「ですから、王国と[神]の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば、これら[ほかの]ものはみなあなた方に加えられるのです。

 「自分の欲望」と「神の義」がぶつかってしまうときには、神の義のほうを選択しないといけません。それでもがっかりする必要はなく、神の義を第一にすれば、その他のものも与えられるというエホバからの保証があるからです。

霊の実を培う

 聖書中で最大のおきては「神への愛」と「隣人への愛」です。これをうまく保っていけるならば、とても幸福な気持ちでいることができます。

 人間関係やエホバとの関係でストレスを抱えると、物質的なもので満たされていても、ぜんぜん幸福な気持ちになることができません。

 一方、霊の実は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰、温和、自制です。
(新世界訳聖書 ガラテア人への手紙5章5節)

 人を憎むのではなくて人を愛する。不満を覚えるのではなくて、喜ぶ。争うのではなく、平和を求める。すぐにいらだったりせずに、辛抱強さを示す。

 自分のことだけを考えるのではなくて、親切を示す。罪を犯すのではなくて、善いことを行っていく。

 神や疑うのではなくて、固く信じる。強い口調ではなくて、温和を求める。すぐに欲望を遂げようとするのではなくて、自制を示す。

 このような特質を培っていけば、神との関係や人間関係でストレスを抱えることがだんだんと減っていきます。

 そうすれば、幸せな気持ちが長く続くようになります。

まとめ

 僕が聖書の中から見いだした結論は、幸せというのは、神の義の基準を守りながら、神からのものを喜ぶことです。物質的なものもそうですし、霊的なものもそうです。

 祈りの中で神へ感謝して、神の特質を自分に取り入れていくと、平安な気持ちを得ることができます。

 またエホバが将来に約束してくださっている、地上での豊かな生活についても思いをとめると、喜びを保ちつつ待ち続けることができます。

 物質は神が人間に与えた良いものですが、現在の世がサタンの配下にあるということはいつも意識しておく必要があります。地元の習慣、テレビ、新聞、インターネットの情報を、そのまま信じると、容易に神から引き離されてしまいます。

 聖書を読んで、エホバは自分の行動をどうご覧になるだろうかと祈りの中で考えることは役に立ちます。