契約の血について調べる
僕は聖書通読をしていますが、最近気になっているのはエホバは血をどうご覧になるかということですね。創世記、出エジプト、レビ記、民数記、申命記には、血に関するエホバの律法がでてきますし、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネでも、イエスは血について語りますね。今日は契約の血について個人研究してみました。
契約の血
古代の時代
一つ目は、契約のために血が果たす役割があるということ。古代の時代には、エホバとイスラエル国民は、モーセを仲介者として、血による契約を結びました。
モーセは契約の仲介者として、動物の犠牲の血を、半分は祭壇(これはエホバへ)に、もう半分はイスラエルの民に振り掛けました。
次いでモーセはその血の半分を取って鉢に入れ,血の半分を祭壇に振り掛けた。最後に彼は契約の書を取り,それを民の耳に読み聞かせた。すると彼らは言った,「エホバの話されたすべてのことをわたしたちは喜んで行ない,また[それに]従います」。そこでモーセはその血を取り,それを民に振り掛けて,こう言った。「さあ,これらのすべての言葉に関してエホバがあなた方と結ばれた契約の血です」。
(新世界訳聖書 出エジプト記24章6-8節)
イエスの時代
イエスの時代にも血の契約があります。イエスが地上にこられたときに、エホバとイエスの弟子たちは、イエスを仲介者として血による契約を結びました。イエスは契約の仲介者でしたが、血はご自分のものでした。
イエスは、新しい契約の仲介者として、ご自身の血を、半分は天へ(これはエホバへ)に、もう半分はイエスの弟子たちに振り掛けました。これは実際の血ではなくて、象徴的な意味を持っていて、イエスに信仰を働かせることが、イエスの血を振りかけられるということを意味しています。
次の聖句では、イエスの血が多くの人に注がれるということが書かれています。
これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。
(新世界訳聖書 マタイによる書26章28節)
次の聖句では、血を携えて天に入ったということが書かれています。
そうです,やぎや若い雄牛の血ではなく,ご自身の血を携え,ただ一度かぎり聖なる場所に入り,[わたしたちのために]永遠の救出を得てくださったのです。
(新世界訳聖書 ヘブライ人への手紙9章12節)
イエスはまた、天におられる父のご意志を行う人は、みな家族ですといわれます。
「ご覧なさい,わたしの母とわたしの兄弟たちです! だれでも天におられるわたしの父のご意志を行なう人,その人がわたしの兄弟,また姉妹,また母なのです」。
(新世界訳聖書 マタイによる書12章49節)
新しい契約は、イエスを仲介者として、「エホバ」と「父のご意志を守り行う人たち(つまりイエスの弟子)」の間に結ばれたものでした。
血について調べるといろいろと面白いことがわかってきます。ひとつは今日書いたように、契約に効力を持たせるものとしての血の役割です。
もうひとつ大事なのは、「贖い」としてのイエスの命ですね、血は罪の代価として支払われたという観点。これも聖書の中に示されている考え方ですね。