死ぬべき体をも生かしてくださるのです
僕たちエホバの証人のほとんどの人が抱いているであろう希望。それは復活の希望です。この復活は、地上で起こり、実際の体をともなったものです。
僕たちの体というのは、アダムが犯した罪のせいで、その罪を受け継いでいます。アダムが犯した罪は、アダム自身を死に追いやり、アダムの子孫すべてに、罪を伝えました。罪が宿った体、僕たちが今身に着けている体は、必ず死にます。
将来に待ち受けているのは、死という現実です。ただ単純に消えるようにして死ぬということはなく、病気や怪我や老化が待ち受けています。
若かったころよりも体力や美貌や衰えていき、老いをとめることはできず、その目的地は死です。
死は自然なものですか。いいえ、人間にとって、本来死は不自然なものです。人は病気や怪我に、嫌な感情を抱きます。死はいやなものです。死を悲しんだり、悼んだりしても、歓迎したりはしないでしょう。
聖書には、復活の希望というものが書かれています。たとえ、体が死んだとしても、イエス・キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせて、神の霊によって歩むならば、命を与える霊によって、死ぬべき体をも生かしてくださるのです。
そして、イエスを死人の中からよみがえらせた方の霊があなた方のうちに宿っているのなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたその方は、あなた方のうちに住むご自分の霊によって、あなた方の死ぬべき体をも生かしてくださるのです。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙8章11節)
聖書に書かれていることは、夢物語ではありません。心の癒しだけのための本でもありません。聖書には、人間の歴史の始まりと、将来について書かれている本です。
神は目的を持って人間をお造りになりました。その目的は、地球上で人間が、数え切れないくらいのたくさん子どもをもうけて、その全員が幸せに生活することでした。
けれども、アダムの神に反対する決定とサタンの誘惑によって、地上はよい状態を失い、人は命を失ってしまいました。
将来における人間の復活というのは、ご自分の目的を達成するために神が設けられたものです。驚くほど多くの人たちが地上に復活し、神について学ぶ機会が与えられます。天ではなく地上に復活するという点が注目ポイントです。聖書に書かれた神の目的が達成されるためには、地上で人間が復活しなければなりません。
そして、神の霊によって歩むならば、その最後は死ではなく、永遠の命です。信じないものにとっては、人生の最後は死ですが、信じるものにとっては、人生の最後は永遠の命です。
神が人間のための準備された本来の命を、楽しみたいとは思われませんか。