聖書や古い時代の書物で時代遅れのものではありませんか

答え

聖書はいつの時代も価値を持つ書物です。その価値が古びていくことはありません。

解説

 僕らは何らかの対象を時代遅れのものだとみなしています。たとえば、新しい髪型がはやれば、今までの髪型は時代遅れだといいます。新しいファッションが流行すれば、今までのファッションは時代遅れだといいます。

 同じように新しい価値観が登場すれば、今までの価値観は古いものだというのではないでしょうか。新しいものはよくて、古いものはだめなのでしょうか。その考え方自体は正しいものでしょうか。

 聖書や宗教が古いという考え方はどのようにして得たものでしょうか。教育や育ってきた環境による思い込みに過ぎないと僕は感じます。

 聖書はいつの時代も価値を持つ書物です。

人間の歴史が書かれた書物

 まず第一に、聖書は人間の歴史が書かれた書物です。人間の始まりについて書かれている書物です。また人間が死んでいく理由についても記されている本です。

 だれもが生きていれば、一度は人間について考えたことがあると思います。人って何のために生きているのだろうかと考えると思います。世の中が提供している答えは「人が生きることには何の意味もない」ということです。

 たまたま生存競争に勝つように進化してきて、たまたま生きているという理解です。多くの人は、他の動物のように、ただ生まれて、死んでいくのだから、今日を楽しもうと考えます。

 でも実際には違うのです。人の生には目的があります。それは、神が定めたものです。それを知るためには、聖書を調べることがとても役に立ちます。聖書には人間の歴史が最初から記述されているからです。

人が守るべき価値基準が書かれた書物

 僕たちは日本の法律に従って生活しています。それで多くの人は、日本の法律に触れなくて、他の人に迷惑をかけなければ、何をしてもよいと考えがちです。

 でもそれで本当によいんだろうかと考えるのではないでしょうか。正しく生きるということは、どういうことなんだろうかと思うこともあるでしょう。

 そんなときは、ぜひ聖書をお調べになってください。聖書にはいつの時代も変わらない価値基準が載せられています。人が守るべき道について書かれた書物でもあります。

よい知らせが書かれた書物

 聖書の最大の特徴、それはよい知らせが書かれた書物だということです。聖書の音信を知れば、希望を持つことができます。

 どんなことで喜びたいでしょうか。自分を喜ばせることでしょうか。もちろん自分が喜ぶことは大切なことです。でも喜ぶのは自分ひとりだけではできません。仲間がいることが必要です、そして、聖書によれば、神を知ることも必要です。

 聖書には神の約束が書かれていて、それは永遠の命の希望です。永遠の命というのは、決して退屈で窮屈なものではなくて、人間が手にするはずだった満足で豊かな命です。その命についての約束が聖書には書かれています。

 ぜひエホバの証人の集会に参加して、聖書について学んでみてください。