失敗については隠さないというが聖書のよいこところ
聖書は歴史書だけれど、本当の歴史が書かれている。登場人物の美談ではなくて、登場人物が失敗したことについても書かれている。
それで、聖書は正直で率直な書物だといえる。
自分の失敗は恥ずかしいもので、隠しておきたいと思います。また自分たちの失敗も恥ずかしいもので隠しておきたいと思います。
失敗は隠しておいて過去を美談で飾りたいという人間的な欲望に僕たちはいつもかられます。美しい歴史だけが書かれたのではなくて、実際の失敗も含めて書かれているというのが、聖書のすばらしいところです。
これは、エホバの証人が、聖書が信頼できる本だということを説明するときに、よく使う説明です。
僕たちは聖書を宣べ伝えに言っている。それで、真理を率直に語りたいと思っている。では、自分自身についてはどうでしょうか。自分たちを美談で飾りたいと思いますか。それとも、失敗について認めたり、素直に謝ったりすることができるでしょうか。
エホバは心をご覧になる方です。それで、一切の隠し立てをすることができません。自分を高めるなら、エホバは頭をたたかれます。自分を低めるなら、手を差し伸べてくださいます。
高圧的な態度、威圧的な態度、嘘を語ること、美談で固めること、自分の義を高めること、それらは、エホバがとても憎まれることです。それで、僕はエホバを恐れているので、イエスの権威を認めているので、そのようなことをしたいとは思いません。
どのようなことがあっても、聖霊を祈り求めて、温和さを保ちましょう。いつでもだれに対しても、年下の人に対しても、へりくだった態度を持ちましょう。躓かされることを、もしだれかに言われたとしても、いきり立って罪を犯してはいけません。サタンはライオンのように歩き回って、エホバの民をむさぼり食おうとしているからです。
もし自分に罪がないかのような語り方をするなら、エホバは僕を罪に定めるでしょう。僕が自分の罪を認めたもののような話し方をして、イエスに信仰を働かせるなら、エホバは僕の罪を眺めたりはされないでしょう。