わたしは世を征服したのです

 イエスが世の征服を宣言する場面がとても感動的だ。イエスは自分の弟子たちが困難や迫害にあうことを知っていたので、弟子たちをいつも励また。イエスは迫害を受けて、自分が死に渡されるまで、弟子たちを気遣った。(もちろん復活してからも!)

 イエスは世に勝利します。そして、そのことによって弟子たちを励まします。

世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書16章33節)

 世に勝利するということは、物質的な欲望を捨てるということはぜんぜん意味していません。そもそも聖書は物質的な欲望を捨てるということを進める書物ではないからです。そのような聖人はエホバ神が求めるている聖人ではありません。体を苦しめることは望んでおられません。

 聖書は神の義について書かれている書物です。エホバはもともと人間を喜ばせるために、さまざまな創造物を人間のために創造されました。けれども、アダムは神が許されている事柄、すなわち神の義を超えて、自分の欲望を満たす道を選びました。
 
 善悪を決める主権はエホバ神にあるということが、エホバにとってはとても重要なことでした。人は食物や妻を求めてもよかったのです。欲望を捨てることは神のご意志ではありませんでした。けれども神が定めた基準は守る必要がありました。

 聖書で世の欲望と書かれているのは、物質的な欲望のことではありません。神の義の基準に反する欲望のことです。たとえば、神よりも富を求めること、偶像を崇拝すること、結婚外で性関係を持つこと、離婚すること、エホバが提供するものよりも、人間の世が提供するものを愛すること、偏見を持って人を見ること、人を暴力で傷つけること、形だけの崇拝をすることなどです。

 イエスは世を征服しました。そして、イエスに信仰を働かせるならば、僕たちも世を征服できます。バプテスマを受けたなら世の欲望に対しては死んだのです。そして、死んでよみがえらされた方と共になったのであれば、そのことによって、世を征服することができます。イエスに信仰を働かせるならば、どんなに辛い状況に置かれたとしても、神のご意志に調和することであれば、必ず成し遂げることができます。

 エホバは強い方だからです。一人ひとりを顧みてくださる、いまでも生きておられる神に、賛美と誉れと栄光がいつまでもありますように。アーメン。