エホバの証人はどんな課題を抱えているか

 どんな課題を今僕は認識しているかというとこんな課題かな。全部聖書の教えじゃなんだなぁ。

完璧主義

 自分のやり方、考え方、好みや癖が違うと、そのことでいらいらして、他の人を注意しようとする傾向が見られることがあります。会衆が萎縮して、のびのびとできない場所になる危険性があります。

 日本人は文化として同調圧力を強めようとする傾向が強いです。これは会衆の中にしのびこんできやすい傾向といえるでしょう。

 ものみの塔からのアドバイス「小言を言わない。監視人のようにならない」

 聖書からのアドバイス「愛は多くの罪を覆うのです」「エホバは人の良いところをご覧になる」

成果主義・時間主義

 より多くの成果を出した人や、より多く奉仕している人を極端に褒める傾向が見られることがあります。もちろん働きによって感謝を示すことはよいことですが、そうできない人を後ろめたくさせるようなことがあってはならないと思います。

 ひとりひとりの働きに価値があるのだということを、みんなが理解する必要があります。

 聖書からのアドバイス「信仰に弱いところのある人に十分配慮する」「エホバは外面を見るのではなくて、心や動機を見る」

過度の清潔主義

 身の回りをある程度きれいにしておくことは、心身共に健康であるために必要なことです。でも、過度の潔癖主義のために、自分の基準よりも汚いと感じると、その人に対して不潔感や嫌悪感を感じてしまう危険性があります。

 日本人は平均的に清潔ですから、それで十分と思える場合でも、過度に注意する傾向が見られることがあります。会衆がのびのびとした場所ではなく、ぎすぎすした場所になる危険性があります。

 イエスは弟子たちに「一枚のサンダルだけをもっていきなさい」といわれたことがありました。簡素であることと、過度に潔癖であることはちょっと違いうので注意しましょう。

多くの重荷を載せる傾向

 人に多くの重荷を載せる傾向があります。「エホバの証人としてまだまだね」とか、「エホバの証人としてふさわしくないわね」とか、他の兄弟・姉妹を見て感じる傾向のある人は気をつけましょう。ほとんどの場合は、バプテスマを受けたときに理解していることをきっちり守っていれば、十分なはずです。

 それ以上のものを人に肩に乗せる傾向があるときは、本当に聖書の教えかを考えましょう。

 エルサレルの年長者団の決定である「わたしたちはあなた方にこれ以外に何の重荷も載せないようにとの決定をくだしました。」という聖書の教えを吟味してみることができるでしょう。

特権主義

 たくさんの兄弟・姉妹が誤解していると思うのですが、聖書で特権という言葉は、「永遠の命を得るための特別な権利」という意味で利用されています。

 たとえば、高い地位という意味ではぜんぜん使われていません。ですから、この特権は、エホバとイエスに信仰を働かせる人すべての特権です。

 巡回監督と奉仕できる特権とか、何かの学校に入ることができる特権とか、そんな使い方は、聖書の使い方と違います。

 特権という言葉は、信仰を働かせる人すべてが、永遠の命を得るという特別な権利という意味で利用されています。だから、自分が得ている何らかの立場によって、自分が優れているという感覚を養うのは間違ったことです。

 聖書からのアドバイス「エホバは謙遜なものに過分のご親切を与える」「エホバとイエスの信仰によってのみ永遠の命をえる」
 

希少価値への羨望

 ベテル奉仕者になれる人は少ないです。巡回監督になれる人も少ないです。それで、人間的な観点から見ると、これらの奉仕は希少価値を持っています。一種のあこがれの的でしょうか。

 また、テレビなどを見ていると、有名な俳優やアイドルと実際に触れ合う機会があると人はとても喜ぶ傾向がありますね。そうです。これは、一種の偶像崇拝になっています。

 だから、希少価値を求めて、その立場を目指すというのは、一種の偶像崇拝です。エホバはご自分以外への崇拝を憎まれるということを覚えておくとよいでしょう。

 自分の動機を真剣に吟味して、ベテル奉仕や巡回監督を目指すことが大切です。

 聖書からのアドバイス「エホバのみ前にあっては、すべての人は兄弟・姉妹」「エホバは謙遜な人を喜ばれる」

人を無視すること

 これはしないで当たり前の部類に入るのか、ものみの塔ではあんまりでてこないような気がしますが、現実的には会衆が抱えている問題のナンバーワンくらいにはいるのじゃないかなぁと思います。

 この人が悪いんだから、わたしは悪くないといって無視したり、都合が悪い場合に無視したり、ひどい目にあえばいんだわと思って無視したりしてはいけません。かかわらないほうがことの人にとってはよいことととか、これが一番の解決策と自分の中で決め付けて、無視したりしてはいけません。

 僕はこれについては100%断言しますが、それは聖書の教えじゃありませんよー。人を憎んだり、うらみたくなってどうしようもないということは、だれもが抱える問題ですけれど、エホバのご意志を知った今、全力でその傾向と闘ってみてください。
 
 もし兄弟・姉妹のだれかひとりを無視するなら、エホバはあなたの祈りを無視されます。それがどれほど、恐ろしいことかを知っているなら、きっとこの傾向を直すようにがんばっていけると思います。