キリスト教に興味があってインターネットで調べている方へ 第1回 神は創造者

 聖書を勉強していてもいまいち神については、実感ができないという方も多いようです。エホバの証人は、エホバとの個人的な関係について大切するように心がけています。

 たとえば、僕たち日本人の感覚からすれば、人に迷惑をかけなければ何をやってもよい、法律に違反しなければ何をしてもよいという感覚におちいりやすい傾向があると思います。

 国の法律を守ること、地元の慣習を守ること、他人に迷惑をかけないこと。日本で育った人にとっては、これが大切な価値基準だと思います。

 もちろんそれも大切なことです。でも聖書を読んでキリスト教について学び始めると、僕たちが意識しなければならない方が、もうひとりおられるのだということがわかってきます。それは、人格を持たれる神です。

 そうです。神がおられるということを知って、神が心を持ち、感情を持ち、命を持っておられる方だということを知ると、その方のお考えも生活するときに考慮に入れる必要があるということがだんだんと理解できてきます。

 僕たちの多くは、まだ神について知ってはいませんが、それほど神は、ぼくたちから遠く離れておられるわけではありません。

 日本にはたくさんの四季があります。旅行にいって素晴らしい景色を楽しむこともあれば、花を見て喜んだり、夜空の星を見て感動したりすると思います。

 花というのは人間が品種改良をして、よい花びらをつける工夫をすることもできます。でも僕たちは、花そのものを生み出すことはできません。犬をうまく交配させて、かわいい容姿を持つ犬を作ることができます。でも犬そのものを生み出すことはできません。

 僕たちが、生活を楽しむには、花や犬などの、自然が不可欠ではないでしょうか。そうです、これらのものすべてを用意してくださったのは実は、愛のある神なんです。

 僕たちの心を楽しませるために、さまざまな美しいものを目的を持って創造された方は神です。それで、神は僕たちから遠く離れておられるわけではありません。実は自然を通して、神の存在を間接的に知っています。

 聖書は、創造者である神の目的について書かれた書物です。僕たちが近くで感じてはいながら、その存在を知らなかった神について書かれた書物です。

 おいしい料理を食べたなら、料理を作った、その人に感謝をささげたいと思いませんか。では自然に感動したらなら、自然を創造された神に感謝を捧げるのは、だれにとっても、道理にかなったことではないでしょうか。

 聖書は、僕たち多くの日本人が忘れてしまっている神について書かれた書物です。

 続く。

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