イエスに信仰を働かせれば、たとえ死んでも復活する

 聖書に書かれている最も大きくて価値のある音信。それは死はなくなるということだ。人は病気になったり、年老いたりして必ず死んでいく。現代の最新の科学技術も、最新医療も死を克服することができないでいる。

 たくさんの事故や自然災害や世界各地での紛争や飢餓の話題が上るたび、嫌な気持ちになるのは、エホバの証人だけじゃなくって、普通の人もそうだと思う。

 人が死ぬのはいやだなぁとみんなが思っているけれど、それを止めることができないものとしてみんなあきらめている。でもあきらめる必要はない。なぜなら死に打ち勝つ方法があるからだ。

 僕たちはそれを知っているので、希望がある。

 心臓が止まって、脳が活動を停止すると、お医者さんはそれを死とみなす。体が焼かれて灰になってしまえば、その人はいなくなっちゃう。だから、それを死という。

 でもほんとうはまだ死んではいない。そう本当はまだ死んでいない。人の観点から見れば、死んでいるように見えるとしても、神の観点から見れば、まだ生きている。そう神からは眠っているように見えるんだ。
 
 呼びかければ眠りから目をさます。そんな状態だ。

 そして何よりも、死に打ち勝つことができる。つまり、永遠の命。

わたしは復活であり、命です。わたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書11章25節)

 イエスの死の犠牲の意味に対して、信仰を働かせれば生きる。

 エジプトからイスラエル人が脱出してきたとき、エジプト人が追いかけてきた。前は紅海、後ろはエジプト軍。まさに絶対絶命。そう、人間の観点から見ればもう死んでいるといっても良い状態だった。

 でもエホバ神は、モーセを用いて、紅海の水を左右に開いて、脱出させるという奇跡を行った。そう、人間の観点からは死んでいたのに、神の観点から見れば死んではいなかった。確かに生きていた。

 僕たちも罪の奴隷状態にあったので、死は必ず追いかけてきて僕たちを捕らえるはずだった。でも、エホバ神はイエスをもちいて、死からの脱出の機会を設けてくださった。

 そして、そのことを伝えたいと思っています。神は死者を復活させることができる、そして死を取り除くことができる! すべての涙がなくなるとき、神の壮大な目的は果たされる。

 ぜひ信仰を保って、みんなで新しい地へと入りましょう。