キリストのゆえに与えられた特権をすべて損と考えるようになりました

 永遠の命というのは、エホバとイエスを信じる人すべてに与えられるものです。信仰を働かせた人すべてに命を与えるというエホバの約束は、とても公正なものです。

 今の世で豊かな人にも、貧しい人にも、健康で活発な人にも、病気がちな人にも、特別な教育を受けることができる人にも、そうではない人にも、エホバが約束しておられるものです。信仰を働かせる人すべてに与えるといっておられるものです。

 人の世では、ある人に特権を与えて、それによって目立った立場を得たり、結婚が有利になったり、裕福になったりということが普通に行われています。

 富や特別な権利を得るために、人の心はくすぐられますし、マスメディアは、そのような立場になれば、夢がかなうとか、自分らしさを発揮できるとか、豊かに暮らせるとかいうことをあおります。立派な人になれるかのような幻想を抱かせます。

 良い立場を得るために、権威に近づきたいと思う傾向が強いようです。

 この傾向がクリスチャン会衆の中にもちこまれると大変なことになります。それで、よく見張っていることは大切です。

 このような傾向と闘うために、どのような聖句が助けになるでしょうか。イスラエル国民としての、多くの特権を持っていたパウロの言葉を考慮に入れることはよいことではないでしょうか。

 パウロは、キリストによって信じる者すべてが命の救いの得られるという特権のために、自分に与えられてた特権をすべて損とみなすようになりました。

だれかほかの者が,肉に頼ることができると考えるのであれば,わたしはなおのことそうなのです。八日目に割礼を受け,イスラエル一族から出ており,ベニヤミン部族の者,ヘブライ人から[生まれた]ヘブライ人なのです。律法についてはパリサイ人,熱心さについては会衆を迫害するほどであり,律法による義についてはとがめのないことを示した者です。しかし,わたしにとって得であった事柄,それをわたしは,キリストのゆえにすべて損と考えるようになりました。
(新世界訳聖書 フィリピ人への手紙3:4-7)

 パウロは、一部の人たちが得ることができる特権ではなくて、すべての人に与えられる特権のほうに目を向けました。自分個人に与えられていた特権、高い教育、出身、目だった立場を、キリストのゆえにくずのようにみなしました。

 クリスチャン全体が得ることのできる永遠の命という賞に比べれば、人間の視点で見たときに与えられた特別な立場は、とるに足りないものという認識をパウロは深めました。

 僕たちが生活している会衆はどうでしょうか。自分がある立場を失ったときに、ひどいショックを受けそうですか。自分の存在価値の一部が失われたように感じてしまいますでしょうか。自分が否定されたように感じてしまいますか。

 でも円熟した兄弟・姉妹やエホバやイエスは、あまり気にしないと思います。きわめて価値があって、比較できないほど素晴らしいものは、エホバが与えてくださる永遠の命という賞です。

 その賞の前にあってパウロは、自分に与えられていた特権をくずのようにみなしたという見方を思い出すことは助けになると思います。

 どうか憤って反抗のために罪を犯したり、批判的なことばかりを言うようになったりしないでくれたらと思います。世の傾向と闘おうとして、自分がサタンに利用されるのはとても嫌なことではないでしょうか。