神ご自身が敵対者を踏み砕かれる
エホバの証人は、平和を求めるという点では、徹底しています。たとえば、兵役には参加しませんし、たとえ徴兵制があったとしても平和を求めるという信条から参加することはありません。
世界中に愛する兄弟・姉妹がいるので、戦争に参加するということは、兄弟・姉妹を傷つけることになります。それで、エホバの証人はそのようなことにかかわることはありません。
人間の軍事力による平和は、たくさんの失望をもたらしてきたのではないでしょうか。とても成功してきたようには見えません。それでも、国民を守るための必要悪として、認識している人が多いのではないでしょうか。
でも、実際僕たちはそのような争いごとにかかわらなくとも、生活していくことができます。この世で多くのことを得られないとしても、神の王国と義を第一に求めるならば、必要なものが与えられるからです。
この世で最大限の豊かさを得られないとしても、神との関係で豊かです。神が豊かに与えてくださるという信仰は、僕たちを強めます。
では、悪や虐げははずっと放置されたままなのですか。いいえ、そんなことはありません。神の約束があります。敵対者は神ご自身が打ち倒すという神の約束があります。
神によってわたしたちは活力を得、[神]ご自身がわたしたちの敵対者を踏み砕かれるのです。
(新世界訳聖書 詩編60編12節)
神が闘ってくださるので、僕たちは争う必要がありません。僕たちが怒って争うことは、神のご意志ではなくって、神を待ち望むものたちが、神によって救われるということが神のご意志だからです。
神を待ち望むものたちは活力を得ます。その日はいつくるのか、なぜ早く来ないのか、その日はこないではないかといって、神の敵対者と同じ態度をとってはエホバを悲しませてしまいます。
反対に、信仰を働かせて、エホバが敵対者たちを打ち砕く日を待ち望むならば、エホバの霊によって、活力を得ることができます。エホバを待ち望むことは嬉しいことですか、それともじれったいものですか。
ぜひ、待ち望むことを喜びとしましょう。この約束が破られるということは決してないからです。果たされなくて、失望に至るような約束ではないからです。