死んでしまっても神にとっては生きている

 僕たち日本人は、宗教というと死者と結びつけて考えてしまうことが多いのではないでしょうか。葬式は、多くの場合仏式で行われます。多くの場合は、死んだ人の霊魂がどこかに存在していて、それに感謝をささげるような方式が多いのではないかと思います。

 けれども、聖書が伝える真理は、それとは反対で、「死者には何の意識もない」ということです。塵からできている僕たちは、死ぬと塵に返ります。まったく何もなくなってしまいます。

 お医者さんは、心臓や脳の機能を取り戻して、肉体を作るということはできません。肉体をそなえた体は、もう戻ってはきません。もうおしまいです。それで、多くの人は今を精一杯生きようとか、人生は一度きりといいます。

 でも聖書にはうれしいお知らせがあります。人生は一度きりではないというお知らせです。復活があります。

 たとえ死んでしまったとしても、神はひとりひとりのことを記憶にとどめておられます。死んで何もなくなったとしても、神の記憶の中にはまだ存在します。それで、たとえ死んでしまっても、神にとってはまだ生きているのです。

 それで、イエスはこのようなことを言われます。

この方は死んだ者の神ではなく、生きている者の[神]です。彼らは皆、[神]にとっては生きているのです。
(新世界訳聖書 ルカによる書20章38節)

 この方というのは、イエスの父であるエホバ神のことです。彼らというのは「アブラハム」「イサク」「ヤコブ」という過去に死んでしまった人を指しています。死んでしまった人でも神にとっては生きているということを言います。

 つまり、エホバ神は、死んでしまった人のことを覚えておられるので、新しい体を作って、その人を復活させることができます。それで、人間の視点からは死んではいても、神の視点からみれば、生きて眠っているように見えるということです。

 皆さんに知ってもらいたいことは、次の二点です。死んだ人が意識をもってどこかをさまよっているということはないということです。死者は生きている人に何も行うこともできませんし、供え物をしても、鎮魂することはできません。死者には意識がないからです。

 たとえば、神社では死んだ人を祭っていますが、実はそれには何の意味もありません。死者には意識がないからです。

 そして、もうひとつの知ってもらいたいことは復活があるということです。死んでしまっても、もう一度生きます。そして、永遠に生きる見込みもあります。

 ぜひみんなに教えてあげてください。復活があるということを。関心のある方は、エホバの証人の方と聖書研究をしてみてください。よろしくお願いします。