待つということ

 「待つ」ということについて黙想することがよくある。聖書では待つということは「喜び」と結びつけられている。なかなか終わりが来ないので待つことが苦しいという観点ではなくて、終わりがきて平和が実現されるということは確かなので、待つことはうれしいという観点だ。

 恋人とデートの待ち合わせをして、30分早く待ち合わせ場所についてしまった。ではその30分の待つ時間は嬉しい時間なのではないでしょうか。

 聖書を知らない人は、終わりに臨んで恐怖を味わうことになってしまいます。何が起こったかわからないし、避ける方法もわかりません。でも聖書を学んでいる僕たちは、どのようにすれば安全にそれを避けることができるかを知っています。だから終わりを安心して待つことができます。

 終わりが早く来ると想定して、お金を減らしすぎないようにしましょうね。自活が基本ですし、お金はある程度において身の守りともなります。終わりが遅く来ると想定して、富を蓄えすぎないようにしましょうね。富への愛は有害なことの根だからです。

 アブラハムは、外国人の地で、羊を飼いながら、外国人居留者として生活しました。羊は資産なので、今でいえば、お金にあたりますね。でも約束の地まで移動しなければならないので、持ちすぎるということはできません。また生活があるので羊を減らしすぎるというのも問題ですね。持ちすぎず、持たなすぎすバランスをとっていたのでしょう。