透明性

 さてしばらくは、僕が問題だと思っていることを書いていきたいと思います。僕がつくづく思っているのは、透明性をもう少し増したほうがよいというものです。

 ひとつめは、長老だけに内密にされる内容というのは、なくしたほうがいいと思います。長老の教科書や手紙や指示なんかは、特に内密にする理由がないので、公開したほうがよいと思う。

 不透明にすることでどういうことが起こっているかというと、長老が兄弟・姉妹を誘導するという問題が起こっています。たとえばものみの塔や目ざめよには書かれていないけれど、長老への指示には書かれていることがあることがします。

 そうすると、長老はその指示があるということは、兄弟・姉妹にはいいません。そのこと自体はいいませんが、聖書の原則を無理に適用して、そちらに誘導しようとします。結論ありきで、聖書の原則を適用するので、とても不自然なことになる。

 こういう誘導を、僕は何回も経験した。時には姉妹を誤解させて、それはいけないという空気を作り上げて、雰囲気を作り上げて、個人を叩く。はっきりと根拠がないのに、よくないという雰囲気を作り上げて誘導する。たとえば、聖書の罪とは何の関係もない分野で、「他人の良心に配慮することが必要だと思いませんか」といって、何かをさせないようにしたりする。

 たとえば、長老たちは「模範的ではない開拓者」はどのような開拓者かという手紙や指示を一般公開しないで持っている。そしてそれを使って開拓者の足を切る。最初からみなが知っていれば、突然切られて悲しい思いをするということもないのに。

 エホバの言葉はすべてが聖書に書いてある。どんな克服するのが辛い分野の内容だって書いてある。そして、それに照らして僕たちは自分を吟味できる。預言を聖書以外の方法で与えることもされない。すべての兄弟・姉妹はそれを見て、知ることができる。神の言葉はとても透明。罪になることは罪とはっきりのべ、守らなければ滅ぶと言う方。率直な方、正直な方。

 今は遠くで起こったことも、内密にされていることも、インターネットを通して、すぐに多くの人に伝わってしまいます。都合の悪いことを本人が明らかにしなくても、他の人が明らかにしてしまう。よいことばかりを語ってよく見せようとしても、他の人はそうではないことを暴露してしまう。隠そうとしても隠せない。自分が言わなければ、反対する人がさらに悪いように言う。そんな世の中。

 もともとエホバのみ前にあって、隠せることはひとつもないのだから、インターネットの力に負けてというよりは、自分から明らかにしていってほしいと思う。

 後はお金の分野かな。世界的な寄付のお金の流れを知りたいな。隠していると多少不都合なことをしてもばれないという誘惑に兄弟たちが駆られやすくなっちゃうよ。

 透明性を増してほしい。これが僕の要望。