よい子にだけ優しい

 僕がエホバの証人で問題に感じていることを、次々としばらく上げていこうと思う。僕が嫌だなぁと思うのは「よい子にだけは優しい」という傾向です。

 裏を返せば「だめな子には冷たい」ということですね。長老たちは、自分にかなったよい子にしようと、あの手この手でつついてきます。根回しがあったり、はっきり言わないで匂わせたり、空気を作り上げたり、二人きりのときに軽い圧力をかけたりする。「自分はこうした」ということを、他の兄弟・姉妹にもさせようとする。

 こういう傾向が広く見られる気がします。何の根拠もないのに「これはエホバの方法だから」とか「これは組織の方法だから」とか言う。実はそんな方法はない。ただおびえさせてコントロールする方法。

 「従順でありなさい。なんでもはいはいといいなさい。すすんで受け入れなさい」という言葉を受け入れない人を、排除する方法。

 それで自分の目にかなったよい子にだけは、優れた立場を提供する。そうでない人には、与えない。こんなことが、長老や奉仕の僕の任命、また大会での話の割り当て、大会で奉仕できる分野で行われているようだ。またベテルにいけるかどうか、特別な学校にいけるかどうかに影響する。

 イエスマンが育ってほしいのか、それとも神に忠節な人が育ってほしいのか。いったいどちらなのでしょう。

 僕は兄弟たちに、立場をいつでも振り捨てることができる勇気を持ってほしいと思います。いざというときは仲間のために振り捨てることができる勇気を。

 これは考えると怖いことです。いままで持っていた立場を失うということは。こつこつと長年の間にたどりついた今の立場を捨てることは怖いことだと思います。何が怖いのかといえば、兄弟・姉妹たちの視線です。これを怖がっている。今まで立派だった自分を見下げられること。これが怖い。

 でも、エホバのために人から見下げられてもいいのではないでしょうか。人はあなたを立派だといわなくても、エホバはあなたを立派だというから。この方の誉め言葉は格別です。

 だからどうか兄と弟を比べたりしないでください。どちらかを立派といって、他のほうを見下げないでください。自分の子どもと他の子どもを比べないでください。他の子どもを立派といって、自分の子どもを見下げないでください。

 また自分自身と他の人を比べて、自分自身を見下げないでください。他の人を自分自身のように愛せるように、自分自身を愛してください。エホバがあなたを愛しているように、愛してください。

 エホバは「善人にも悪人にも、太陽を昇らせ、雨を降らせる方」なのではありませんか。では大切なのは、他人をよい子といったり、ふさわしくないといったりして裁くことではなくて、だれに対しても自分を与えることなのではないでしょうか。

 立派な弟を誉めて、そうではない兄を責めるのではなくて、親がすべきことは、どちらに対しても同じように与えるということではないでしょうか。