講演の話し方について思うこと

 I HAVE LOVED THEM . (JEHOVAH’S WITNESSES エホバの証人再考)というブログがあります。僕がよくみるブログのです。エホバの証人の兄弟ですが、少し離れた視点からの観察があってとても興味ぶかいです。コメントから思ったことが知りたいそうです。

 では次の記事から感じたことを書いてみます。

 ギュンター クンツ兄弟の日本支部へのアドバイス

そのクンツ兄弟の日本支部委員へのアドバイスのひとつに、日本の兄弟は、話し方の点で進歩しているように見えますが、仲間の真似をして進歩してるよう錯覚してるのでは、ないかという
洞察力のあるアドバイスでした。

 これはそのとおりで、神権宣教学校の監督は、兄弟たちのよい特徴ではるはずの、小さな癖やわずかなアクセントの違いまでを、矯正しようとする傾向が見られると思います。

大会でも二世の子達がどのように話したら用いられるか、理解してるので
猿真似金太郎飴状態の一見やさしそうな言葉使いの中身のない話し手が
広まったように思います。

 これもそのとおりで、どのような話し方をすれば用いられるかということを、子どもたちは覚えてしまいます。エホバに対してしっかり立つのではなくて、長老や巡回監督の考えを探ることをどんどん覚えていってしまいます。

 一方で、ベテルには、池畑兄弟という、講演ですごく特徴的な話し方をする兄弟がいます。地域監督や巡回監督や長老は、池畑兄弟の兄弟の話を誉めるでしょう。でも、一般の会衆で、他の兄弟が、池畑兄弟のような話し方をすれば、厳しく注意されるでしょうね。きっと「あの話し方は池畑兄弟だからよい」という謎の助言がくるんじゃないかと思います。

 「池畑兄弟」も、「会衆の小さな兄弟」も違いはないはずなのにね。どうして人によって態度を変えてしまうんだろう。