神ではないものを神としてエホバに怒りを覚えさせた

 主権者であるエホバは専心を求める神です。その点においては、何の妥協もありません。神ではないものを神とすることに、非常な怒りを覚える方です。またねたむ方でもあります。

 神ではないものが、神のように崇拝されています。さまざまな形の偶像崇拝が世の中にあふれかえってしまっています。

 像を神のように考えたり、富を神のように考えたり、快楽を神のように考えたり、イエス・キリストを神のように考えたり、自分を神のように考えたり、人間の集まりを神のように考えたり、さまざまな形で偶像崇拝が、網目のように、世の中に張り巡らされています。

 事物の体制の神は、いつの時代も、どんな場所でも、神ではないものを神のように取り扱うように、人類を誘惑し続けてきました。

 古代のイスラエル国民も、自分たちのために王を作ろうとしたり、金の子牛を崇拝したり、バビロニアの神をエホバの神殿の中に祭ったりと、偶像崇拝を行って、エホバの怒りを買いました。

彼らは,神ではないものをもってわたしにねたみを起こさせた。
(中略)
わたしの怒りの中で火は燃え立っており,
それはシェオルに,最も低い所にまでも燃えてゆく。
(新世界訳聖書 申命記32章21-22節)

 エホバはまったき専心を求める神であって、そこには何の妥協もありません。エホバ神は正直な方であって、正直に「わたしだけがまことの神だ」といわれます。「わたしが創造し、わたしが主権者だ」といわれます。

 神は傲慢なのでしょうか。いいえ、神は偽ることができないので、本当のことを僕たちに伝えているに過ぎません。「絵を書いた人が、この絵は私が書いた」といって、どうして傲慢なのでしょうか。ただ本当のことを言っているだけではないでしょうか。

 では「世界を創造した神が、世界は私が造った。わたしだけがまことの神だ。」といって、どうして傲慢でしょうか。ただ本当のことを言っているだけではないでしょうか。