奴隷という言葉を現代的にイメージしてみる

 聖書では奴隷という言葉がよく使われますが、奴隷という言葉の響きはぜんぜんよくないですね。奴隷貿易、黒人奴隷、奴隷売買などの悲惨なイメージがありますね。人身売買が国際法で禁止されて以来、奴隷という存在自体がなくなりました。

 労働を提供してお金をもらうときには、自分を売るのではなくて、労使契約を結ぶという形に変化しました。自分自身を売って所有してもらうのではなくて、労働力を売るという形に変化しました。

 聖書時代では、奴隷というのは、主人の家で仕事をする人のことでした。奴隷の反対は、自由人でだれからも所有されていない人のことです。

 現代風に言えば、「会社を経営している人」と「雇われて仕事をしている人」という関係が近いものになるでしょうか。

 ではレストランにしましょう。あなたはアルバイトとして、レストランで働くことにしました。働き始めたばかりで、ういういしい気持ちです。

 料理を作って、お客さんのところに料理を運びます。そしてお客さんが、作った料理についてまずいといっているところを聞いたとします。

 するとあなたはどうするでしょうか。もっと満足してもらうために、食事の提供を改善しようとするでしょうか。提供する食物をもっと、おいしいものにしようと思うでしょうか。そう考えるなら、店長が来たときに「立派なアルバイトだ!」といって誉めるでしょう。

 それとも、「俺が作ったんだからうまいはずだ!うまいといいなさい!」とお客さんにいったらどうでしょうか。「自分が作った食事が食えないのか!」といって、お客さんを追い出すならどうでしょうか。

 アルバイトであるのに、お客さんにたいして、やけに偉そうなのです。もしそうなら、店長が戻ってきたときに「役に立たないアルバイトだ!」といって、解雇を言い渡すでしょう。そして歯ぎりして、泣くことになります。

 長老、巡回監督、ベテルの兄弟、統治体の兄弟たち、もし仮に「役に立たないアルバイト」のような振る舞いを続けているとしたら、永遠の切断のための準備を自らに蓄えていると考えてください。エホバへの恐れをぜひ持ちましょう。

 イエスは「一番偉くありたいなら、一番若い者のようでありなさい」といわれました。長老、巡回監督、ベテルの兄弟、統治体の兄弟たち、もしイエスに従いたいと思うのであれば、だれに対しても下に見ず、入ったばかりのアルバイトのような気持ちで、奉仕してほしいと思います。