自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです

 もしある振る舞いや格好が、神のみ前で、何一つ罪の要素を含んでいないという確信があるなら、聖書がそのことを罪に定めていないということを知っているなら、そのことで自分を裁く必要はないです。

あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。
(新世界訳聖書 ローマ人への手紙14章22節)

 ここでパウロは、自分の信仰によって生きるということについて語っています。他人の信仰によって生きるのではなくて、自分の信仰によって生きるということです。

 ですから「この服装はちょっとねぇ」と言われたとしても、そのことで自分を裁く必要はないです。神のみ前で自分がよしとするなら、それはよいことです。「自分を裁かないでよい人は幸い」とあるとおりです。

 でも一つだけ気にしないといけないことは、自分の振る舞いは、他の兄弟・姉妹の神への信仰を打ち崩してしまわないだろうかということです。

 ある量のお酒を飲むときに、ある兄弟はここまでは泥酔ではないと思いますし、ある兄弟はこれだけ飲んだら泥酔だと思います。それは、それぞれの神に対する信仰に基づいているので、それぞれの信仰はよいものです。

 けれども、それが、他の人の神への信仰を打ち崩すものになってしまったらどうでしょうか。それは神にとっても、自分にとっても、とても残念なことではないでしょうか。

 けれどもこの解決策は、どんなことが打ち壊すことかどうかを、周囲が決めてしまうということではありませんし、そのことを規則化して禁止するということではありません。これをやってしまうと、聖書とは反対の方向にながれちゃう。

 大切なのは、何が打ち壊すことなのか、自分自身が絶えず考えるということです。周囲ではなくて、神との関係において、自分自身の信仰に従って、考えるということです。