統治体についてしばらくの間考えてみる

 今日からしばらくの間、統治体について考えてみたいと思います。批判的だと怒られるかもしれませんが、統治体について、兄弟・姉妹が考えるヒントになればと思います。

 まず統治体というのは、英語では「governing body」といいます。これは理事会という意味です。なぜ初期の時期に、「governing body」という訳語に統治体という言葉をあててしまったのかは、よくわかりません。

 エホバの証人の初期のころには統治体というものは存在しませんでした。統治体というものは存在せずに、ものみの塔の会長(初代:ラッセル, 二代目:ラザフォード, 三代目:ノア)がいました。統治体というのは、もともとは会長による決定の独占を排除するために生まれたシステムだと僕は考えています。

統治体というのは、ものみの塔会長による独占排除の仕組みとして始まったと僕は考える

 それとも関連して、「忠実で思慮深い奴隷」というのは、最初はひとりなのでした。それは初代ものみの塔協会会長ラッセルです。この独占を排除するために考え出された仕組みは、「忠実で思慮深い奴隷」はひとりではないという教理です。

 つまり「忠実で思慮深い奴隷」は複数人で構成されひとつの級(class)を持つという教理です。これが今日「奴隷級」として今日まで至っている教理です。

 一番最初はラッセルが「忠実で思慮深い奴隷」であったのであり、その他の信じる人たちは「天への希望を持つ油注がれた者」でした。一番最初の時点では、「忠実で思慮深い奴隷」と「油注がれた者」は一致していませんでした。「1:多」という関係でした。また地上での復活を望む人は存在しませんでした。

 一番最初の段階は以下です。

忠実で思慮深い奴隷,油注がれた者,地上での復活する人の割合は、1 : 多 : 0

 今とはずいぶん違いますね。忠実で思慮深い奴隷という教理は、最初はラッセルが考え出して、自分自身を忠実で思慮深い奴隷だと考えました。

 エホバの証人は、よかれか悪かれか、ひとりの人を神格化するという道をとりませんでした。神格化されたのはひとりの人ではなくて「忠実で思慮深い奴隷」という称号でした。

 エホバの証人の教理の歴史というのは、紐解いてみると「忠実で思慮深い奴隷」という称号をいかにして、正当化するかという歴史でもあったように思えます。