長老への手紙は「エホバの証人のクリスチャン会衆」という謎の宗教法人から来る

 みなさん、長老への手紙は、どこからやってくるかを知っておられますか。「統治体」でしょうか、「ものみの塔聖書冊子協会」でしょうか。答えは、そのどちらでもなくって、正解は「エホバの証人のクリスチャン会衆」という、聞きなれない宗教法人から来ます。(二通の手紙で確認しました。)

 長老への手紙の末尾は『あなたの兄弟「エホバの証人のクリスチャン会衆」』という文面で終わります。すべての手紙がこんな風になっているのではなくって、会衆でみんなの前で読まれる手紙の末尾は、『あなたの兄弟「統治体」』とか『あなたの兄弟「ものみの塔聖書冊子協会」』になっています。

 長老への手紙には、いくつかの特徴があります。一つ目の特徴は、今言ったように、末尾に「エホバの証人のクリスチャン会衆」という署名があります。一般のエホバの証人は、この宗教法人がどんな活動をしていて「ものみの塔聖書冊子協会」とどのような関係があるかを知りません。

 長老たちはこのことを知っていますが、僕たち一般のエホバの証人には教えてくれません。この宗教法人の詳細を聞くことはタブーになっているのかもしれません。ただ「神の経路からくるのだ」ということを、言い聞かせられているのかもしれません。

 二つ目の特徴は、長老への手紙の中には「統治体」と「ものみの塔聖書冊子協会」という単語は登場しないようです。その代わりに「忠実で思慮深い奴隷」という単語が登場します。わざわざ「エホバの証人のクリスチャン会衆」という署名で手紙を書いているので、手紙の中には「統治体」や「ものみの塔聖書冊子協会」を登場させてしまってはいけないのだと思います。

 この手紙にどんなからくりがあるかを僕はまだ推測することができていませんが、法的な面で責任を逃れるための方策じゃないかなぁと感じています。

 情報を知っている方がおられたら教えてください。

追記

 統治体が、忠実で思慮深い奴隷を「統治体」といわない理由の秘密がここらへんにあるのかもしれません。忠実で思慮深い奴隷を、統治体といってしまうと、統治体以外を指せなくなってしまいます。「本部にいる油注がれたもののグループ」といっておけば、統治体以外の宗教法人でも、活動することができるからです。なんかずるい感じがするよ。統治体の兄弟。