ネクタイの自由化と姉妹たちがズボンをはけるようにしたい

 なぜエホバの証人の兄弟は、スーツとネクタイなのでしょうか。集会に行くとき、また奉仕をするときにスーツとネクタイを着用するのでしょうか。また姉妹たちは、集会に行くとき、また奉仕をするときに、スカートを着用するのでしょうか。考えてみたことはありますでしょうか。

 巡回監督と長老は、成員の服装に非常に注意を払います。成員の外面をよく観察するように指導されます。どんな理由でしょうか。こんな理由です。「エホバは内面を見るが、人は外見を見る。だから、外面によく注意を払うように。外面はどんなに気にしすぎても、気にしすぎることはない」。

 しかし、一世紀当時、外面を気にしていたのは、パリサイ人でした。

彼らは,お守りとして身に着ける[聖句]入れの幅を広げ,[衣の]房べりを大きくしているからです。
(新世界訳聖書 マタイによる書23章5節)

 自分たちがよい服を着ることによって、周囲からの立派な評判を得ていましたが、貧しい人たちに対しては、差別的でした。あまりよい服を着ない人に対しては、差別的な目で見ていたのです。

 それでイエスはいわれました。

あなた方は杯と皿の外側は清めますが,その内側は強奪と節度のなさとに満ちているからです。盲目のパリサイ人よ,杯と皿の内側をまず清め,それによって外側も清くなるようにしなさい。
(新世界訳聖書 マタイによる書23章25-26節)

 外側を良くしても、内面が節度のなさに満ちているなら、何の意味もありません。反対に、内側をよくすることによって、外面を清めなさいというのが、イエスが言おうとしていたことの趣旨です。だから、現代の巡回監督と長老は、イエスが意図したこととは反対のことを教えています。

統治体は聖書の価値基準ではなく、ビジネスの基準で話している

 統治体の基準は、聖書の価値基準ではなくて、ビジネスの基準です。まずスーツとネクタイという服装は見てのとおり、ビジネスマンの服装です。庶民の服装ではないです。日常の服ではなくて、仕事をするときに、営業職の人やホワイトカラーの人が着る服装です。

 エホバの証人の活動は、ニューヨークのブルックリンで始まりました。この地域は、世界でも名高いビジネスの町です。すぐそばにはウォール街と呼ばれる金融街があります。ここで伝道活動をするならば、ユダヤ人にはユダヤ人のようになりなさいという聖書の指針によって、スーツとネクタイで伝道することには意味があると思います。それが、町になじむ服装だからです。また当時は書籍を販売していたのですから、まさにビジネスマンだったのです。

 でも統治体とものみの塔協会の誤りは「スーツとネクタイという服装がきちんとした服装だ」という偏見を、世界中にばらまいたことです。暑い地域の日本であろうと、スーツとネクタイを着用する習慣がないアフリカであろうと、「スーツとネクタイという服装がきちんとした服装だ」という偏見をばらまきました。

 また出版物の中では「きちんとした服装をしよう」と書かれる場合は、必ずセットでスーツとネクタイの絵が掲載されます。ビジネスのアメリカンスタンダードを基準としてばらまくのはやめましょう。

 きちんとした服装は、スーツとネクタイでなくてもできるのではないでしょうか。またスカートをはかなくてもできるのではないでしょうか。

銀行マンを見習いなさいというのは馬鹿げたこと

 服装のことを助言するときに、銀行マンを見習いなさいということはまったく馬鹿げたことです。だって、僕たちは銀行マンではないのですし、銀行マンというのは、お金持ちの象徴ではないですか。どうしてそんな服をまねすることに価値があるでしょう。

 反対に「町を歩いている人の服装を見てみましょう」というほうがよっぽどよい助言です。

「服装の乱れは、規律の乱れ」ということを統治体は知っている

 なぜ統治体は、異常に服装に注意を向けるのでしょうか。それはきっと「服装の乱れが規律の乱れ」ということを、経験的に、理解しているからだと思います。軍隊がみな同じ格好をしているのと同じ理由です。統治体は垂直的な命令系統を好みます。服装に自由を与えると、命令系統が弱くなるということを経験的に知っているのだと思います。

ネクタイの自由化と姉妹たちがズボンをはけるようにしたい

 ネクタイというアイテムは、もともとは、お守りを起源とするという節があります。それをつけているとお守りのような効果を発揮して、ものごとがうまく運びます。パワーストーンのようなものですね。

 ですから、まずはネクタイを自由化しましょう。着けても着けなくてもよくする。クールビズでさえ、巡回監督の目を気にして、自分の意思ではできないという状態なので、まずは、個人個人が自由にクールビズできることを、目標にしたいです。

 次の夏、奉仕、集会、大会での、クールビスを目指しませんか(そうとう勇気がいるので、心の強い人たちだけで)。また姉妹たちもなぜズボンをはくと、ふさわしくない服装といわれるようになっているのかということを真剣に考えてみませんか。理由がないのであれば、他の姉妹にスカートを強要しちゃだめです。ズボンをはいてきた姉妹を、汚い目で見るかのような目でみちゃだめです。