日本人の、日本人による、日本人のための正装

 外面を統一することは、人を支配するためのひとつ形態だ。他の民族を服従させるための、ひとつの形態だ。世界中の人々を、アメリカ・ヨーロッパの金融街の富裕層のような格好をさせることは、彼らの支配下で喜べということなのだ。

 日本人は、自分たちの服装を失ったときに、心を失った。明治維新による欧米への追随は、長い目でみれば、日本人の心を失わせる結末になり、敗戦によって、深く精神を支配されることになった。江戸の伝統をすべて捨てるべきではなかったし、よい部分を残すべきだった。

 日本の指導層は官僚であり、アメリカの意向を汲み取る官僚が出世する。そのようにして、アメリカは、日本を間接統治下に置き続けている。負けるということは奪われるということだ。

 明治維新以来、日本人は、欧米の格好を模倣するように、敗戦後は、アメリカの富裕層、つまり、ウォール街の伝統的な服装を模倣するようになる。エホバの証人の格好は、どのような格好が模範的かといえば、「銀行員のような格好をすべき」といわれてきたのである。

統治体の過去のメンバー

http://www.jwstudy.com/jwbbs/viewtopic.php?pid=550#p550

統治体の最近のメンバー

http://blog.goo.ne.jp/john_the_baptist/e/c4ce632a6c80a1fc1b64650a78e1303e

 統治体がいるブルックリンという町は、ニューヨークのウォール街のすぐとなりにある。つまり、この格好は、何の格好かといえば、金融街でのビジネスにおける伝統的な服装なのである。

 彼らは、スーツとネクタイで世界を支配しようとしている悪者である。世界的な会議を見ても、なんとスーツとネクタイの多いことよ。彼らは、他国の文化を支配をしながら、その口では、美しき自由と民主主義をうたう。彼らは偽善者なのである。

 日本では、スーツの売り上げは年々減ってきている。このタイミングで、日本人は、日本人のための正装・喪服・礼服・仕事の服を自分たちで創作するように模索すべきだと思う。どうして、葬式や結婚式、ビジネスで、いつでも、欧米人のような格好をしないといけないのかい。それをしない人は、排除されなければならないのだい。

 服装を欧米に奪われたということは、由々しきことだ。日本人は、日本人の、日本人による、日本人のための服装を、創造するのがよい。もちろん地域によってバリエーションがあってもよい。支配から脱っし、独立の精神を得るための服装を創造してほしい。日本の伝統的な価値を取り戻すために。