「輸血しないでください」の用紙は書かなくてもよい

 パブテスマを受けるともれなくもらえる「輸血しないでください」の用紙は書いてもよいし、書かなくてもよいです。作成するかどうかは個人の問題なので、書いても書かなくてもどっちでもいいんです。

 過去においては、演壇の話で持ち歩くように言っていたと思いますが、最近はそういうことはまったくなくなったことにお気づきですか。この件については長老たちは、持つようにと提案することはもうできないです。その代わりに、バプテスマを受けた後にこの用紙を渡して、書くことが必然であるかのような振る舞いをします。

 でも僕はぶっちゃけてしまいますが、「輸血しないでくだい」の用紙は、書いても書かなくてもよいです。それは、まったく個人の決定です。そんな馬鹿なーと思うのであれば、「書くか書かないかは個人の決定なんですか」長老に聞いてみてください。そうすると、しぶしぶ、個人の決定ですというと思います。だから、書いても書かなくてもいい。

 ものみの塔協会というのは、やっぱりずるいところがあって、そうするのが必然のように思わせておいて、後々になると「それは個人の決定です。それは個人の思い込みです」という言い方をします。「そんなことを言ってはいない」といいます。確かにはっきりとは言っていないけれど、そうするのが必然かのような表現や振る舞いをするのでものみの塔協会はずるいです。

 たとえば「ブログを書くことを奴隷級は認めていません。」という書き方をします。では禁止されているのかと聞けば、そんなことは決してないです。統治体は「認めていません」という言葉で「禁止されている」かのような印象を与えたいだけなんだ。

 そうして、怖がらせて、ブログやコメントを書けなくする。また書いた人は、開拓者や奉仕の僕になれなくする、そういうずるい手段をとる。それは決して愛ではないからね。そろそろ真理を求める人を非難するのはやめましょうよ。ねぇ、統治体の兄弟たち。

 ブログを書くかどうかは、良心の決定に属することがらです。個人の判断で自由に行える分野です。認めていませんというのは、統治体が自分の支配権を守りたい、自分の駒が自由に動いてもらっては困るということが、動機だからね。決して愛ではないよ。そろそろ気づこう。