統治体の心理術
マインドコントロールがあるかどうかは、科学的には、立証されていないから、なんともいえないけれど、心理学のテクニックを上手に使うということは、統治体は故意的にやっているようにも思える。
ひとつは、閉鎖的な環境で、繰り返し、繰り返し、同じ情報を与えると、その考えに傾いていかせることができるというテクニックだね。それが偽りであっても、真実として納得させることもできる。外部の情報に触れさせないようにして、何度も何度も少しづつ、少しづつ、刷り込んでいく。気づかれにくいように、聖書の言葉の1割くらいに混ぜて、何度も何度も、語る。
特に疲れているときというのは、知らず知らずのうちに、心は奪われていくみたい。統治体は「疲れていても集会を休んではいけません。活動しつづけなさい。」ということを時々ものみの塔に書きますが、これは疲れさせるためだと思います。疲れているときは、刷り込みがよくかかる。
たとえば、仕事中毒の人というのは、体が疲れていても、仕事から抜け出せなくなるんだね。仕事をしなくちゃ会社や仲間に迷惑がかかるという脅迫観念があるから、抜け出せない。「自分がやらなくちゃ、他にも遅くまで仕事をがんばっている仲間に迷惑がかかる。みんながやっているのに、自分だけがやらないというのは、悪い気がする。」と考える。ほんとは、ひとりくらい抜けたって、大勢に何の影響もないのにね。
「もし自分がやらなくっちゃ」という脅迫観念があるのだったら、捨ててしまったほうがいいと思う。自分がやらなくたって必要であればだれかがやるし、そもそも、それは必要ないことだってたくさんある。「奉仕をしなくっちゃ」「集会にいかなくっちゃ」「予習をしなくっちゃ」「開拓を目指さなくっちゃ」「奉仕の僕を目指さなくっちゃ」「長老を目指さなくっちゃ」って、たぶんいっぱいあると思うけれど、捨ててもいいと思う。
自分がやらなくたってなんとかなる。統治体は、巡回監督を使って「責任を負うことが必要です」と思い込ませようとしてくる。でも、責任なんて無理に担わなくたっていい。自分がつぶれちゃうほどの、自己犠牲なんて必要ない。
「もし大会が運営できなくなったらどうしよう。」別にだいじょうぶ。そのときは、回数を減らせばいい。真理と霊を持って神を崇拝することは、どこでもできる。「集会が運営できなくなったらどうしよう」だいじょうぶ。なんとかなる。そんなことは、どうにでもなる。どこでだって集まりあうことはできるよ。
必要なことは、エホバが愛情深い方であることを、知ることだと思う。愛が土台にないと、何の意味もなくなっちゃう。宣教のテクニックがいくら優れていても、そこに愛と公正と正義がなかったら、モチベーションが上がってこないよ。