子どもたちを大切にする、自立に向けて応援する

 子どもたちを大切にする。自立に向けて応援する。統治体とものみの塔協会の、支配下には置かない。奉仕に参加したり、朗読をしたときだけ「がんばったねー、偉いねー」という態度をとって、ゲームをしたときは、「なにしているの!」とかいったりしない。

 統治体とものみの塔の基準で、よいことと悪いことを判断しない。きちんと遊んであげること。犬や猫を見るみたいに、かわいい、かわいい、言わない。子どもたちに、振り回されるくらいの気持ちで、きちんと接してあげること。

 子どもたちは、体力がありあまって、走り回ったりするけど、ちゃんと付き合ってあげること。また、内向的な子どもたちの気持ちも大切にする。

 聖書を一緒に読む。ただ読む。あんまり、自分の神の見方を押し付けない。子どもの感じ方は、両親の感じ方とは違う。最終的に、信仰を選ぶのは、子どもたち。弟ががんばっていて、兄ががんばっていないときに、がんばっていないほうを否定しない。比較しない。

 否定するのではなくて、話を聞く。神が祈りを聞いて、助けてくださるように、耳を傾けて、助けになれることがないかをたずねる。「彼はわたしを呼び求め,わたしは彼に答える。わたしは苦難のときに彼と共にいるであろう」。

 神やイエス・キリストが、信用できると思えないと、信仰にはならない。親ができるのは、子どもたちの信仰を形作ることではなくって、ただ種をまくことだけ。「成長させてくださるのは神です。」子どもたちを自分の持っている価値基準で形作ることができるなどとは思わないこと。

 エホバは、すべての民に雨を降らせて、自然の恵みを与える方。だから、最終的に、神への信仰を持つかどうかにかかわらず、自分の子どもを大切にしてあげてください。

 外面的な部分で子どもたちを裁かないこと。集会にきているからとか、奉仕にでているからとか、きっちりとした服装をしているからとか、外面的なことで、良い悪いを判断しないこと。そんなことは関係なく、すべての子どもたちを愛してあげてください。

 「まず最初に神が愛してくださったので、わたしたちは神を愛するようになったのです」まず、こちらの愛を感じなければ、どのようにして信仰が育つのでしょうか。

 一般の研究生と自分の子どもへの態度を変えすぎないこと。子どもは、敏感なので、裏表や本音と建前があるのだということを、敏感に感じ取ります。結局、都合のいいことしか言っていないという風に、子どもたちが考えるならば、そこには、信仰や愛はなくて、世と同じように、また世よりもひどい、本音と建前があるということを、知ってしまいます。

 巡回監督や長老の意見を、そのまま家庭にもちこまないこと。祈ること、よく考えること、エホバとの関係で、決定をすること。家族の事情を、巡回監督や長老は知っていませんし、子どもたちの内面を、ほとんど知っていません。だから、親が、事情を考慮して、決定しないといけない。学校や長老にまかせきりにしないこと。

 子どもたちの自立を支援する。子どもたちが、ひとりだちしていくために、何ができるかを考える。また、将来家族を持って自立できるために、何ができるかを考える。押し付けないこと。子どもたちは、自分の価値基準とは違うということを認めること。