希少価値や神という言葉によって箔をつける戦略

 ブランド品というのは、商品そのものの質というよりは、所有することで、周囲からどのように見られるかということが、大切な基準になってきます。

 ○○のメーカーの商品を使っていること、○○のメーカーの商品を持っていることが、ひとつの社交的なステータスになります。

 消費者の購買意欲を上げるために、ブランド化するという戦略は、営業手法として、よく見られる手法です。

 さて統治体とものみの塔協会は、明らかにブランド化するという戦略を露骨にもちいています。この手法をやめてもらいたいです。

ベテルのブランド化

 ベテルはブランド化されてきました。ベテルは神の家と呼ばれ、楽園に一番近い状態と、そういう噂話や、また巡回監督や長老がしている話を聞いたことがあると思います。

 ものみの塔協会は、ベテルに金メッキをかぶせて、ベテルの存在そのものや、ベテルで働くということに、大きなステータスを与えてきました。

 ベテルから訪問講演にくる兄弟は、憧れの的で見られます。また巡回監督は、ベテルで働く支部委員の兄弟には頭があがりません。

 ベテルというものに過度の価値を与えて、そこがすばらしい場所、また模範的な人が集まる場所というイメージを、長い間流布してきました。

 ベテルに入ることができた兄弟を、親や周囲の人は、一流の大学に入学したような目で見てきました。特に地方では、ベテルはひとつのブランドになっていると思います。

 ベテルは、金メッキをはげば、普通の印刷工場です。それ以上の場所ではありませんし、それ以下の場所でもありません。神の家ではなくって、人間の働く普通の工場です。

 またベテルは閉鎖されすぎていて、普通の人間の感覚が、及ばない感じになっているように思います。ここが変だよという部分がたくさんあるのに、だれも何も言えないし、犯してはいけないような雰囲気になっている。

 それもそのはず、そういうことをいうとベテルを追い出されるんだ。もういっそのこと、ベテルで働くかどうかは、巡回監督が模範的かどうかなんて判断するんじゃなくって、くじにしたらいいと思う。

特別開拓者・開拓者のブランド化

 また、ものみの塔協会は、特別開拓者や開拓者といった立場そのものについてもブランド化を行ってきました。開拓者は模範的で、素晴らしい。

 開拓者こそが最善の生き方。若い時に開拓者になった兄弟を賛美する実演。開拓者をエホバから与えられた特権とみなすようにすること。

 もたらされた実は、開拓至上主義という、あまりにも過酷なシステム。それによって、たくさんの子どもたちが傷ついて、たくさんの子どもたちが、エホバとイエスのもとから去っていきました。遊ばしてあげればいいのに。

 聖書にはない、開拓者という立場に、必要以上の誉れを与えたことで、エホバの証人の兄弟・姉妹は、ほんとうに大きく疲弊してきました。ブランド化に励むのではなくて、まずそのことに気づいてほしいです。

巡回監督・長老のブランド化

 パブテスマを受けると、兄弟たちは、立場を目指すように、奉仕の僕を目指すように、長老を目指すように、耐えず圧力にさらされます。巡回監督や長老は、自分の言うことを素直に聞くか、この兄弟が、統治体の指示を守って、マニュアルを遂行する能力があるかどうか、そのような外面ばかりを見ています。

 姉妹たちも、この兄弟は、奉仕の僕で公開講演しているかとか、長老で立派にやっているかとか、そのような外面ばかりを見ています。

 奉仕の僕になると、大会の係に呼ばれます。これは、一つの特権になっていて、人脈作りに役立ちます。また長老になると、結婚しやすくなります。長老はブランド化されているので、姉妹の目にきらきらと映るようになります。

 長老になると、訪問講演というものに出かけることができるようになって、人脈作りにも役立ちます。開拓者や奉仕の僕には出会いの機会を多く持たせ、そうでない人は、ほとんど出会いの機会がなかったりします。

 年もいって長老にもなっていなければ、姉妹たちは、ちょっと下の人を見るような目でみます。必要以上に避けたり、無視したりします。

 長老とか巡回監督などの立場を特権と呼んだり、必要以上の誉れを与えるのはやめてほしいです