会計の公開において会衆とものみの塔協会の不平等な関係から脱却したい

 最近では、よく知られるようになってきましたが、会衆とものみの塔協会の間には、会計の分野において、不平等な関係があります。

 次のような不平等な関係です。

ものみの塔協会は各会衆に会計の公開を求めるのに、ものみの塔協会は会衆からの会計の開示の要求に決して応じない

 クリスチャンの会衆間で、このような不平等な関係があるのは、やっぱりよくないと思います。特に統治体やベテル職員というのは、クリスチャン会衆の寄付で養ってもらっているので、お金を寄付してくれている側に対して、きちんと収支報告をしないといけないです。

 自らは収支報告を怠って、会衆にだけ求めるというのは、非常に不公平な関係です。収支報告をきちんと開示することは、お金がどのように使われているのかということを、みんなが把握できるという点で、非常に価値があることだと思います。

 どれくらい必要としているかということがわからないければ、どれくらいの寄付をすれば、運営を続けていくことができるのかということを、会衆の側が把握することができません。決して、宣べ伝える業という名目だけを主張して、勝手に使ってよいお金ではありません。

 お金の使い方に非とされるところがなくて、ちゃんと信頼されたいのであれば、きちんと収支報告を開示すべきです。隠しているということは、闇の業(サタンの業)にあずかっているのと同じになってしまいますよ。

 統治体とものみの塔協会のみなさんにこの聖句を紹介します。支部委員のみなさん、ベテル職員の皆さん、ぜひよく黙想してください。

いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。
(新世界訳聖書 ヨハネによる書3章20-21節)

 真実なことを行っているというのであれば、ぜひ光に来てください。そうすれば、神に従ってなされているということが、みんなの目の前で明らかになりますよ。いつまでも隠しつづけるということになれば、それは闇の業にかかわっているということです。