巡回監督と長老のみなさん、奉仕の僕を部下のように扱うのはやめてください

 僕は、ブログをいろいろと読んでいますが、長老が奉仕の僕を部下のように扱っている経験というのを読んだことがあります。また、過去には、巡回監督か長老が、奉仕の僕は長老の下で、雑用をするような役割だと教えていたような形跡もあります。

 長老のみなさん、もし今、奉仕の僕の兄弟を、部下のように扱っているとしたら、その考えを改めてみてくれませんか。奉仕の僕と長老という立場を過度に区別して、この仕事は雑用に近いから、奉仕の僕の兄弟にまかせるというような方針を持っているとしたら、ぜひ巡回監督と相談してみてください。

 統治体とものみの塔協会は、特権階級制度を維持することに努めています。奉仕の僕を任命する人事権は、実質的には会衆の長老にあります。また、長老を任命する人事権は、実質的には巡回監督にあります。このような、特権を与える削除するという権限が、長老にはあるので、奉仕の僕の兄弟は、長老に意見をすることさえ難しくなっているという現状を理解してください。

 こういう不平等な関係があるので、奉仕の僕の兄弟は、長老のいうことに「はい」と答えることしかできません。また長老の側も「はい」ということを求めているように見受けられます。イエスマンであることが、長老になるための条件だと考えている感じがします。

 ですから、長老は奉仕の僕の弱みにつけこみがちな状況が発生しやすいということがいえます。ずっと長老になれないような不安を利用して、自分自身に対するイエスマンを作ってしまうんです。そうして、雑用として扱ったり、部下のように扱う状況が、非常に発生しやすくなっていると僕は見ています。

 根本的な解決策は、特権階級制度の廃止です。長老が奉仕の僕を任命・解除するという不公平な関係をなくしてしまうことです。今は、長老とか、奉仕の僕とか、このような立場があることは、多くの場合にマイナスに働いています。

 僕は、こういう立場によって人間を区別するのではなくって、仕事単位で分担したほうがずっとよいと感じています。上下関係ではなくって、分業という関係であったほうが、ずっと優れていると思います。

 たとえば、公開講演は、奉仕の僕以上の立場を持たないとできないという風に決まっています。会衆の仕事と立場が密に結合してしまっています。長老ではないと、出張講演にいけないと、決まっています。

 こういう立場と仕事を結びつけてしまうと、個人の特権意識や仕事を区別する意識というのは強くなってしまいます。それで、長老は、奉仕の僕を雑用や部下のように扱うといった状況が生じやすくなっています。