本当に必要なことは、探し続け、求め続け、叩き続ける

 もうすでに真理を得たとか、もうすでに真理を知ったというのは、違うんじゃないかなと思うようになった。真理を、部分的にぼんやりと知ったのであって、そのはっきりとした輪郭がわかるのは、きっと将来のことだと思います。

 だから、真理にたどり着いたという感覚はきっと間違いで、いつだって道の途上で歩いているという感覚のほうが、正確なのではないかと思います。

 ひとりひとりが、探し続け、求め続け、叩き続けることをやめてしまったら、そこで思考はストップしてしまうんじゃないかと思う。ひどい間違いが、心を支配しているのに、そこから逃れられない、そんな状態になってしまうのではないかと思う。

 人間が提供する真理というのは、間違いなく間違いだと思う。だから、統治体やものみの塔協会が提供する真理は、偽りに満ちている。偽りを真理と言い、間違いを正しいといって推し進め、悪くないことを悪いといい、悪いことを善いという、そういうたくさんの悪い実が生み出されてことを、今見聞きすることができています。

 だれかが、変えようといったり、だれかが変えたいと思って、動かないことには、状況は変わっていかないと思います。統治体の真理や統治体の一致に留まっているのではなくて、いつでも探し続け、求め続け、叩き続けることが必要だと思います。

 ですから、その行為を否定するのはやめてくださいと、長老と巡回監督に言います。もう組織弁護のための助言を口から出すことをやめませんか。それは、人への思いやりではなくて、いつでも人を苦しめるものになってきました。

 助言が役に立たない理由は明白です。それは、助言が、個人のことを思ってではなくて、組織弁護のために個人を制約する言葉に過ぎないからです。また、自分の特権、権威、立場を守るための、自己弁護の言葉に過ぎないからです。だから、役に立たない。

 「探し続け、求め続け、叩き続け」なさいと、イエスが言われた言葉を無視して、自分や組織の考えを押し付けるのはもうやめませんか。統治体の思いや教理によって一致するのではなくって、イエス・キリストの思いによって一致することが大切です。

 巡回監督と長老たち「平和と一致が大切」と表面では言いながら、イエス・キリストの思いを否定するのをやめませんか。主であるイエスは、「探し続け、求め続け、叩き続け」なさいといわれたのです。

 それに従って、兄弟や姉妹が自分の良心に従って動いたときに、それを否定するならば、長老たちは、主に反することを行っているのです。もうそろそろ、組織弁護や特権のために、働くのをやめにしませんか。