姉妹たち、兄弟たちを立派な人のように振舞わせるのをやめてください

 兄弟たちが表の顔や、外づらを、よく見せようとしている場合は、そこには多くの姉妹たちの期待がからんでいると僕は見ています。姉妹たちの過度の機会は、兄弟たちが正直に振舞うことを妨げていると僕は見ています。

 たとえば、姉妹たちは若い兄弟であれば、「パブテスマ -> 奉仕の僕 -> 長老」というコースを当たり前のようにみなして、そのルートを進んでいくことを過度に期待しているように見えます。

 そのルートを目指していない兄弟は、変わり者で、理解ができず、立派ではない道を歩んでいるようにみなすことはありませんか。

 実際に「開拓や奉仕の僕」を目指さなければ、エホバの証人にあらずという時代が、遠くはない過去にありました。そのことによって、普通の仕事をしたい兄弟は、不必要なことで、多くの傷を受けてきたのです。

 「開拓や奉仕の僕」を賞賛することで、兄弟たちに過度のプレッシャーを与えています。兄弟たちは、立派な立場から退けられることに多くの不安や恐怖があります。そのような感情で、宣教奉仕をするならば、その人の信仰にとって、何の益にもなりません。

 男の子への過度の期待というのは、その男の子を駄目にすることが多いと思います。親の理想を、子どもに押し付けて、その道からはずれていたら、悪いもの扱いするのです。

 親の理想といっても、自然の情愛から生まれるものではなくって、統治体からそのまま受け取ったものです。だからこそ、その理想が、子どもの心をすり減らします。

 兄弟たちが外面の人となってしまう原因には、姉妹からの視線の影響が強くあります。どんなに主婦の姉妹の話が退屈でも、笑顔で外面的に振舞うしかありません。裏では、姉妹たちの知らないところで、愚痴をこぼしているという場合もたくさんあります。

 たとえば、奉仕をするときの、少しのミスで、兄弟を責めることはありませんか。そのようなミスなどささいなことなのに、とても悪いことをしたかのように責める。陰口を裏で言う。だから、兄弟たちは、姉妹の機嫌をとるように、振舞うようになります。

 多くの兄弟たちは、本音をださずに、外面で振舞っています。姉妹、あなたと話しているときの兄弟は、立派で光り輝いているように見えていても、兄弟の裏の顔は、愚痴で満ちています。この本音と建前の違いが大きくなってくると、心をすり減らすことになっていきます。

 兄弟たちは、エホバに対して行動するのではなくって、周囲の視線で行動する傾向があります。周囲というのは、姉妹たちと立場が上の人に対してです。

 みんなが「自由の民らしくありなさい」という神の言葉によって歩むことができる環境づくりに、姉妹たちもどうかご協力ください。