エホバは性的な表現がお好き
聖書を読んでいていやおうなく気づかされるのは、聖書には、愛情表現や性的な表現が多いということです。クリスチャンは、清潔・清楚・潔癖というのが、世の中のクリスチャンのイメージですけれど、聖書を実際に読むと、愛情表現や性的な表現の多さに驚かされます。
ソロモンの歌は、求愛の歌で、ひとつの書物全体が、求愛表現にあてられていますし、ヘブライ語聖書はHな表現が多いです。エホバ神は、イスラエルを女性に見た立てて、求愛表現をしたり、性的な表現を使ったりしますね。人間と同じく、エホバ神もHなのかもしれません。
その乳房はそこで握り締められ,人々はそこでその処女の胸を抱き締めた。
(新世界訳聖書 エゼキエル書23章3節)
おっぱいが握り締められ、処女の胸を抱き締めるなんて、なんて大胆でHな表現なんでしょう。
「二つの乳房もしっかり膨らみ,あなたの髪も豊かになった。あなたは裸で,何も身に着けていなかったのに」「そして,わたしはあなたのそばを通りかかり,あなたを見た。すると,見よ,あなたの時は愛の表現の時であった。」
(新世界訳聖書 エゼキエル書16章7-8節)
エホバはふたつのおっぱいと、美しい髪の毛に強い関心を抱いておられます。裸でいる彼女にエホバは近づきました。そのときの彼女は、子どもから大人に成長してきて、愛の表現のときでした。
そこで,わたしはわたしのすそをあなたの上に広げて,あなたの裸を覆い,あなたに誓いのことばを述べ,あなたとの契約に入った』と
(新世界訳聖書 エゼキエル書16章8節)
そして裸の彼女に近づいて、裸を覆いました。つまり、セックスしたということですね。そして、誓いの言葉を述べて、契約に入った。つまり、婚姻関係に入ったということですね。誓いの言葉を述べて、セックスして、婚姻関係に入ったということですね。
「セックスの関係 = 婚姻関係 = 二人は一体」これ重要です。「神と人間」「イエスと人間」「夫と妻」聖書全体を一貫して貫くテーマです。
神のイメージは、長い歴史の中で、神秘的なものとか、理解できないものとか、清楚できれいなものというイメージが、一般的にはある気がしますが、聖書で描かれる、実際の神は、愛するし、怒るし、ねたむし、悔いるし、殺すし、人間に似ている部分がたくさんあって、親近感を抱くことができます。まさに「人は神に似せて作られた」のです。
パウロの手紙ばかりを読んでいると禁欲的に感じますが、聖書全体が神の霊感を受けたものであって、聖書全体には、愛情表現や性的な表現がちりばめられています。そんなところに注目して読むと、面白いんじゃないでしょうか。