ソロモンの歌を読む その2 「登場人物について」

 ソロモンの歌を実際に読んでいく前に、少しこの記事を書いていく方針について記しておきたいと思います。僕は、今回の記事で、ソロモンの歌に関する新しい解釈を行うつもりでいます。

 既存の解釈に対する、一つ目の疑問は、ソロモンの歌に、ソロモン自身は、登場人物として出てくるのかという疑問です。ですので、一度ソロモンの歌には、ソロモン王がでてこないという前提条件で読み進めてみたいと思います。そのようにしても、うまく読んでいけるかを試します。

 ソロモンの歌は、だれがだれに話をしているのかをつかむのが、非常に難しい書物です。「だれがだれだれに言った」という記載がなくって、手紙や日記を集めて、編纂したものという印象うけます。

 読んでいる印象としては、ばらばらの日記や手紙を集めて、時系列がなるべく意味を保つように、並べたという印象を受けます。

 ソロモンの歌の筆者は、ソロモンではないと思います。ソロモンは、編纂に加わっていたかもしれませんが、ソロモンの歌の筆者ではないと推測します。もしひとりの人が恋愛に関する文章を書くのであれば、だれがだれに言ったということを明確にすると思います。

 ソロモンの歌は、ある夫婦が所有していた、結婚前の文章のやりとりを集めたものという印象を受けないでしょうか。僕はそういう印象を受けます。

 若い娘を中心にして、若い娘と羊飼い、また周囲の人々の間で会話が交わされます。そのような構成になっている印象を受けます。

「若い娘」を中心にして「その他の人々(羊飼いの男、エルサレルの娘たち、異母兄弟たち)」とのやりとがある

 もちろん話の中心実物は、若い娘と羊飼いの男です。

 ソロモン王は、存在していますが、登場人物としてはでてこないような気がします。ソロモンは求愛しているわけではなくって、たんにこの若い娘が、ソロモンの花嫁候補のひとりなのだと感じます。

 こんなふうな前提条件で、ソロモンの歌を読んでいきたいと思います。