サタンと戦うとするときに自分がサタンになってしまわないように注意する

 サタンの仕掛けは、争いの種をまくということだ。人々が怒り、ねたむように、争いの種をまいていく。僕の、サタン観は、現在のエホバの証人が持っているものとは、全然違う。

 現在のエホバの証人の価値観は、権威のある人が善いというものが善いことで、悪いということが悪いという価値観になってしまっています。階級において上に位置して、特権を持っている人が、善いというものが善いことで、悪いということが悪いことになってしまっています。

 人間が自分勝手に善い悪いの判断を行うときには、そこには争いが生まれます。聖書には書かれていないことを、罪といい、自分たちの価値基準において善悪を作り出し、それを人に押し付けようとするときに、言い争いが起こります。まさに「舌は火」なのです(ヤコブ3:6)。

 権威を与えられている人は、舌が火であるということに気がついていません。それをいうことは善いことで、その人のために言っているということを本気で信じています。会話をして双方向のコミュニケーションをすればよいのに、一方的に押し付けようとして、抑圧や支配を行おうとします。

 エホバの証人の社会が持つ特権階級制度がサタンの支配の道具になっているとうことに、僕たちはまだ気づけていません。エホバの方法と呼ばれているものが、実はサタンの支配の道具であるということです。サタンと戦うための手段と信じているものが、実際にはサタンに加担する手段となってしまっています。

 会衆の中にも、光の形を伴って、サタンの影響が入り込んできます。「悪魔がほえるライオンのように歩き回っている」とあるとおりです(ペテロ第一5:8)。

 実際にサタンは自分を光のようにみせるということを、イエス・キリストは、僕たちに知らせてくれています。

あなたのうちにある光が実際のところ闇であれば、その闇はどんなにかひどいことでしょう。
(新世界訳聖書 マタイ6:23)

 神は光です。神は光を好みます。すべてのことが明らかになっても、何の責めも負わないならば、その人は光の中にいます。一方サタンは闇です。闇を光のように見せることに長けています。

 たとえばサタンの影響を強く受けている人は「間違いであったことを認めずに、新しい光が輝いた」と述べます。闇を光のように見せることを上手に行います。もし神のもとにいるならば、自分が不利益を受けても、間違いを認めます。

 統治体の兄弟たちも、自分の心の動機としては、エホバを崇拝して、サタンを憎んでいると思います。けれども、その手段において、サタンの影響を強く受けているということに、気づくことができていません。

 特権階級制度のトップにいるので、裸の王様になって、だれも間違いを教えてくれないので気づけないのだと思います。どうか気づいてください。