自立と自由を尊重する

 エホバの証人の兄弟・姉妹のブログを読んでいると、自立と自由というのが、必要とされているんだなぁということが見えてきます。僕自身も、自立と自由について、エホバの証人社会は、まだぜんぜん成熟していないと考えています。

自立について

 自立ということの意味は、自分の足であるくということです。親の保護を離れて、自分ひとりで立つということを意味しています。また聖書の知識を教えてくれた人に、依存し続けるのではなくって、自分自分で神の言葉を吟味できるようになるということも含んでいます。

 生活における自立と、心における自立、このふたつです。僕たちは、自立は悪と教えられてきました。統治体に依存することが善、そこから自立することは悪と教えられてきました。長老に依存することが善、そこから自立することは悪と教えられてきました。

 でも僕はいいます。自立を目指してください。あなたが神の前に、立てるようになるということです。人への恐れではなくて、神への恐れを抱いて、神の前に立つこと。人への恐れのために行動するのではなくって、神への恐れのために行動できるということ。

 「神 - イエス - あなた」の間に、何一つさしはさむことなく、神との関係を築くこと。聖書を学び始めたときは、よちよち歩きのように、他の人から教えてもらって、それに依存していました。でも、その依存は続けるべきものではなくって、自立に向かって歩むための、道のりに過ぎません。

 神の前で「わたしはこうする。わたしはこうしたい。」といえるように。人からの責めではなくって、神からの責めが、あなたを動かすように。

 エホバの証人から一時的に離れるということは、敗北ではないです。休息であったり、成熟であったりします。あなたの良心が許さないのであれば「輸血拒否」や「排斥制度」から離れるために、エホバの証人から離れることは敗北ではありません。

 それは、神から離れるということを意味していません。主イエスから離れるということを意味していません。

自由について

 まず、自分は滅ぼされるかもしれないという恐怖から自由になってください。この恐怖は、神の名をかたる権威者によって、ずいぶんと悪用されてきました。また、権威ある人によって、個人の自由な良心が侵害されてきました。

 神への従順は、不自由を意味しません。神への従順は、神の子としての、自由を意味します。反対に、神の名を語る権威者への従順は、不自由を意味します。この不自由によって、多くの兄弟・姉妹が、抑圧され、追い出され、傷つけられてきました。

 自由であるべき分野において、権威を持つ人たちは、「それはだれかをつまづかせるかもしれない」「それはふさわしくない」「自由の精神に注意しなさい」といって、自由を侵害してきました。自ら、神から認められた権威者と語る人が、その実際のところ、神が与えた自由について理解していません。

 聖書には「人の良心を裁いてはならない」「弱い信仰を持つ人の良心を尊重しなさい」「自由の民として振舞いなさい」と書かれているのに、たくさんの暗黙の空気によって、不自由を押し付けているのです。

 自由という価値は、とても尊重されるに値する価値です。「神のために自分の自由を我慢することが善」と教えられてきましたが、僕は反対のことをいいます。神のために、自分の自由を尊重してください。それは、他の人の自由を尊重することになります。

 神のみ前で、不自由な民ではなくて、自由な民であってください。「それをしてはいけない」という人ではなくて、「それをしてもよい、だって罪じゃないから」といえる人になってください。神の前における自由の価値を、神のお名前のために、擁護しましょう。



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