お互いにパンを与え合うということ

 奉仕するという言葉を聞くと宣教奉仕のことだけが、頭に思い浮かんでしまうかもしれません。でも、奉仕という言葉には、もっと広い意味があります。

奉仕という言葉には、宣教奉仕という意味よりももっと広い意味がある

 奉仕とは何でしょうか。聖書で使われている意味の奉仕ってなんだろうかって考えてみてください。奉仕という言葉の意味は、給仕するという意味です。

 給仕というのは、自分のところを訪れてきた、お客さんに食べ物や飲み物を提供することです。また食事に関連する世話をすることです。

 イエスは、最後の晩餐のときに、弟子たちひとりひとりの足を洗いました。これは、食事をする前に、足を洗うという作業であって、給仕係りが行う仕事であって、主人が行う仕事ではありませんでした。

 イエスは、弟子たちの足を洗った後にこういわれました。

わたしが,主また師でありながらあなた方の足を洗ったのであれば,あなた方も互いに足を洗い合うべきです。
(ヨハネ 13:14)

 互いに足を洗うべきということは、互いに給仕しあうべきであるということであり、互いに奉仕しあいなさいという意味です。互いに、食事を準備しあいなさいという意味ですね。本当の食事という意味でも、愛を示しあうという点でも、励ましあうという点でもです。

 イエスが伝えたかったのは「少数の人が上にたって食物を供給する」ということとは、正反対のことでした。伝えたかったことは「主にあって上も下もなく、互いに食物を供給しあいなさい」ということでした。

エスが伝えたかったことは「互いに食物を供給しあいなさい」ということ。

 この点を一部の権威を持つ人たちは、勘違いしています。「イエスの少数の弟子たちがパンをくばったので、パンを配る権利は自分にある」という主張をする人は、まったくイエスが言われたことを勘違いしています。

 イエスが伝えたかったことは「お互いにパンを与え合いなさい」ということです。偏った推論によって、イエスが伝えたかったこととは、まったく正反対の考えにいたってしまうというのは、なんということでしょう。持っている権威をさらに高めたいというサタンの誘惑は、それほど強いものなのでしょうか。

 そう考えると、サタンはとても手ごわいやつです。