自分たちの宗教指導者にも警戒するようにと親たちに告げている文章さえあるのです

 僕はものみの塔協会に対して、二枚舌を使ってほしくないととか、ダブルスタンダードはやめてほしいとか、いっぱい書いてきました。ものみの塔協会は、自分が有利になるように、時と場所に応じて、言葉を選択する傾向があって、真実に対しては、あまり関心がないように思えるときがあります。

 エホバの証人研究さんのところで「キャンディス・コンティ裁判」の解説が書かれていましたけれど、その中で、協会が以下のような主張をしていたようです。

1985年の記事(目ざめよ!’85 4/22)の中には自分たちの宗教指導者にも警戒するようにと親たちに告げている文章さえあるのです。それで親たちは自分の子供たちを長老や他の奉仕者のもとに委ねる際にも十分に配慮するでしょう。会衆に対してはこの種の情報が発信されていたのです。
キャンディス・コンティ裁判 – 解説(エホバの証人研究)

 さて僕たちは、会衆や大会で行われる公開講演や長老からのアドバイスにおいて「自分たちの宗教指導者にも警戒するように」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 ものみの塔協会の主張は「自分たちの宗教指導者にも警戒するように」とさえ書いた記事を掲載しているというものです。しかし、巡回監督や長老はだれも、そのようなことを認識していたとは思えません。

 もし、ものみの塔協会が真実を語っているとしたら、会衆レベルでの巡回監督や長老との認識の差に大きな隔たりがありすぎます。ですから、やっぱり裁判で賠償金を奪われることがいやなので、会衆に伝えていたこととはまったく逆の主張をしているのだと思います。

 ものみの塔協会は、このように、会衆に語るときと、自分の身を守るときの言葉が、まったく正反対になる傾向があります。こういうダブルスタンダードをいつまでも続けていくと、信頼が失われていってしまいます。そうなれば、宣教活動が、うまくいかないことがわからないのでしょうか。

 お金を失っても、多くのものが残るけれど、信頼を失うと、その後にどれだけ、後遺症が残るかわからないんでしょうか。

 でも僕たちは、このものみの塔協会の言葉によって、後ろ盾をえることができます。なぜなら1985年のものみの塔には「自分たちの宗教指導者にも警戒するように」と書かれているということを、これからは言うことができるからです。

 今までは「はい、はい」という人、「組織の方針にすべて従う人」が尊重されてきましたね。でもこれからは「自分たちの宗教指導者にも警戒するように」という人も尊重されないといけません。なぜなら、ものみの塔協会自身が語った言葉だからです。言った言葉には責任を持たないといけません。

 統治体の兄弟たち、しっかりと聖書の言葉に堅くつかないと、自分の首を絞めるばかりになってしまいますよ。他の人を背教者と認定してきたあなたがたが、現在背教者なのだということに、早く気づいてください。