コリント人への第一の手紙7章25節〜36節は結婚の時期より以前に婚約相手を持つことについて語られているかもしれない

 コリント書第一7章25節〜36節は前からつながる文脈から考えてとてもおかしく感じてしまう聖句です。なぜなら結婚を肯定的に語っていたパウロが、とつぜん否定的な調子で、結婚について語りだすからです。

 そして、ものみの塔協会は、この部分の聖句を利用して、結婚を遅らせようとしたり、独身を保たせようとする傾向もあります。

 さて、このパウロの話題の転換はどうしも不自然なので、僕はどうしても普通の結婚について語っているようには思えなくなってきました。それで、いろいろと調べると、この箇所は、婚約相手について語られているという説を発見しました。

新約 第35週コリント書第一7章25節〜12章31節

 イスラエルでは、結婚の時期よりずっと以前に、婚約相手を持つという社会的習慣があったのかもしれません。そのような人たちについてパウロはアドバイスをしたのかもしれません。つまり、婚約相手を持つことについて、パウロは考え方を示した可能性があります。

 そのような観点で、この部分の聖句を読みたいと思います。

さて,童貞の人について
(コリント第一7:25)

 ここは男性も女性も性関係をまだ持っていない人のことを指しています。

人は今あるままでいるのがよいということです。あなたは妻につながれていますか。放たれることを求めてはなりません。あなたは妻から解かれていますか。妻を求めてはなりません。
(コリント第一7:26-28)

 ギリシャ語では、妻という言葉は、婚約している女性を指すこともあります。また結婚という言葉は、婚約ということを意味することもあります。つまり、そのような人がいるのであれば、放たれることを求めてはいけません。解かれているのであれば、求める必要はありません。

 この部分での結婚という言葉を、童貞の人の結婚、つまり、婚約するという意味で読んでいきます。

しかし,たとえ結婚したとしても,それは罪を犯すことではありません。そして,童貞の人が結婚したとしても,その人は罪を犯すことにはなりません。しかしながら,そうする人たちは自分の肉身に患難を招くでしょう。しかしわたしは,あなた方が[それに]遭わないですむようにしているのです。
(コリント第一7:26-28)

 童貞の人が結婚するとは、婚約相手を持つことを意味していると考えます。つまり、そうすることは、罪にはなりませんけれども、難しい状況を招くことになります。

結婚していない男子は,どうしたら主の是認を得られるかと,主の事柄に気を遣います。33 一方,結婚している男子は,どうしたら妻の是認を得られるかと,世の事柄に気を遣い,彼は分かたれるのです。さらに,結婚していない女,および処女は,主の事柄に気を遣い,自分の体と霊の両面で聖なる者であろうとします。しかしながら,結婚している女は,どうしたら夫の是認を得られるかと,世の事柄に気を遣います。
(コリント第一7:32-34)

 この部分の一般の結婚について書かれているのではなくって、上からの文脈の続きで、童貞の人の結婚、つまり、婚約者を持つという意味で書かれているのだと解釈しましょう。つまり、そのような婚約者を持つとすれば、そのようなことに気を使うことになります。

しかし,人が自分の童貞性にふさわしくない振る舞いをしていると考え,若さの盛りを過ぎており,しかもそれが当然の道であれば,その人は自分の望むことを行ないなさい。その人は罪をおかすわけではありません。その人たちは結婚しなさい。
(コリント第一7:36)

 結婚という言葉を、婚約と読みましょう。婚約することは罪を犯すことにはなりません。なぜ明らかに普通の結婚が罪ではないのに、パウロが罪であるかのうように語っているのかが不思議でした。童貞の人の結婚、つまり婚約関係について語っているとしたら、それほど不自然ではないと思います。

しかし,心の中でしっかりと定めており,必要もなく,自分の意志を制することができ,童貞性を守ろうと自らの心の中で決めているのであれば,その人はりっぱに行動していることになります。したがって,結婚して自分の童貞性を離れる人もりっぱに行動していますが,結婚しないで,それを離れない人は,さらにりっぱに行動していることになります。

 この部分が、結婚の時期以前に、婚約相手を持つことの是非について語られているとすれば、それほど不自然ではないと思います。

 もし、コリント書第一7章25節〜36節が、普通の結婚について語っているとすれば、とても不自然なのです。パウロが、これまで語ってきたこととは、ぜんぜん違うし、結婚を罪のように語ることを、律法を知っていて、結婚を誉れあるべきものにすべきですと語っているパウロが、するはずがないと感じます。

 そこで、結婚の時期以前に、婚約相手を持つことの是非について語られているとすれば、コリント書第一7章25節〜36節はそれほど不自然にはならないように感じます。