霊と真理によって歩むということを忘れないようにする

 りんごさんが、ものみの塔研究につっこみをいれていました。以下の、崇拝には物質的な資産が関係するっていう部分です。

それよりも。
まずは、16ページ:20の始まりの一文。
「わたしたちの崇拝には、可能な限り最大限、時間やエネルギーや物質的な資産を用いることが関係しています。」

時間やエネルギーとともに「物質的な資産」を使えって書かれていますよ。

(ものみの塔 研究用 2013年9月15日号 - ひとりごちる)

 ものみの塔協会は、運営としてなんしてでも資金と人が必要なので、神の権威を使って、お金と人を集めようとする傾向があります。でも、崇拝に、物質的な資産が関係しているって聖書の教えでしょうか?

 それも最大限と書いて、たくさんのものを、兄弟・姉妹から、ものみの塔協会は得ようとしています。こういう方法に、だんだんと多くの兄弟・姉妹が辟易してきています。

 こうやって崇拝と関係していると書くと、エネルギーを使うことや、資産を差し出すことは、エホバへの奉仕のように信じてしまいます。でも、聖書が教えていることはまったく逆ではないでしょうか。

神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません
(ヨハネ4:24)

 さて崇拝には何が関係していますか。目に見えるものや物質的な資産でしょうか。いいえ反対に、霊とかかれていて、思いや心のほうに注意が向けられています。見えるものではなくって、思いや心によって崇拝することが大切です。

 また、真理をもって崇拝する必要があります。嘘、隠蔽、ダブルスタンダード、二枚舌、闇を伴った崇拝を、エホバは喜ばれないのです。歴史認識において、偽りの歴史を語らないことも必要です。西暦前607年のエルサレムの滅びという、どこにも根拠を持たない偽りの歴史認識を捨てましょう。

 西暦前607年が偽りであれば、1919年に忠実で思慮深い奴隷が任命されたということは偽りですし、自分を忠実で思慮深い奴隷と名乗っている人も偽りです。そのような人たちから、真理はでません。

 真実に目を向けて、真実に対して歩むことが必要です。物質的な資産よりも、はるか光の中を歩くことが大切です。すべてが明らかになったとしても、後ろめたくない生き方のほうが重要です。

 大量の出版数を利用して、ひそかに大衆をコントロールしないでください。インターネットが普及して、みんながものみの塔協会が利用している方法を知り始めていますよ。