ものみの塔研究考察「天の組織という概念について」

 次回と次の次の回のものみの塔研究は、組織べったりな内容なので、僕はだいぶ気分が悪くなっています。でもこういう機会を利用して、組織崇拝の膿を少しづつ出しちゃいましょう。研究用ものみの塔の内容を読んで「これは聖書に根拠がない内容だ」と自分でわかるようになってもらえるとうれしいです。

 では今日は天の組織について考えてみたいと思います。副見出しのタイトルがまずすごいです。

エホバの組織の天的な部分は活動する

 ものみの塔協会が考え出した教理の中で、聖書的にまったく重要でないのに、エホバの証人の信仰の深部にまで達している概念は、間違いなく組織という概念です。自分の心の中で黙想してみてください。組織と言う回数とイエス・キリストと言う回数のどちらが多いかを。

 聖書を読んで、組織という言葉とイエスという言葉がどれだけの比率で出現するか調べてみて、自分の心の中もその比率に近いだろうかと考えてみてください。本当に、心の中に、イエス・キリストがいますか。それとも、組織という概念が、イエスを押しのけて、心を占領していますか。

 さてものみの塔を読んでいきましょう。

聖書を通して、エホバの組織の目に見えない部分を垣間見るのは本当に興味深いことです。イザヤ、エゼキエル、ダニエルが記したエホバの天的な取り決めに関する記述や、ヨハネの啓示の記述は興奮を誘います。
(2013年4月号23p)

 ここでは、「興味深いことです」とのべて、組織に目を向けさせようとしています。まず言っておきたいことは、エゼキエル書の中には、ものみの塔協会がいう意味の組織という言葉はまったくでてきません。ですから、エゼキエル書を解説するのに、わざわざ組織という言葉を使うのは、とても不自然なことです。

 ですからこれは、聖書を解説したいのではなくって、組織という言葉を聖書の描写を用いて正当化しようとしているということです。ですから、こんな風な聖書の適用は、本当に注意する必要があります。自分たちの推し進めたいことを主張するために、聖書の内容を利用するということは、ものみの塔協会がよくもちいる手法です。

 神とか聖書という言葉を使えば、その権威によって威圧できることを知っているのです。ですから、こういう卑屈な手段は、早くやめてもらいたいです。自らの手段のために神の言葉をゆがめることは、本当にやめてもらいたいです。

 さて上の引用でもうひとつ注意する箇所があります。それは「天的な取り決め」という不自然な言葉の挿入です。聖書にはこんな言葉はでてこないので、聖書の解説をするのであればこんな言葉は必要がありません。それにもかかわらず使っているのは「取り決め」という言葉に権威を与えたいからです。ここには、エホバの取り決めという言葉で、威圧を与えたいという意図があります。

 ものみの塔協会は、すこしづつ、すこしづつ、毒を混ぜてきます。気づかない具合に心の中に入り込ませることを狙っていますが、僕たちは、もうその手段を知ったので、利用されないようにしましょう。

エホバは、わたしたちが宇宙主権的な組織の一員であることを決して忘れないように望んでおられます。
(2013年4月号23p)

 聖書には、こんなことはひとつも書いていないです。聖書に書かれていないことを、エホバが望んでいるかのようにいうことは、なんとよくないことなんでしょうか。どうして、平気で神が語っているかのように言うことができるのが、疑問です。僕たちは、馬鹿なので、聖書そのものを調べないとでも思っているんでしょうか。

 指摘箇所が多すぎて手が疲れてきました。副見出しひとつなのに。とほほ。

エホバの組織の目に見えない部分では、エホバの目的を果たすために、目に見える部分よりもずっと多くのことが行われているのです。
(p23)

 これも聖書には、まったく書かれていないことです。どうして、聖書に書かれていないことを、平気で書いてしまうのでしょうか。馬鹿にされているのでしょうか。

たとえば、エゼキエルは、エホバの組織の目に見えない部分を表す、巨大な天の兵車をを見ました。
(p23)

 さて、聖書のどこに、エゼキエル書にでてくる天の天の兵車が、エホバの組織の目に見えない部分を表すと書いてあるんでしょうか。聖書を読めばわかりますけれど、こんなことはどこにも書かれていません。どうして、独自の解釈や利己的な推論を用いて、自分たちの理念を、聖書の表現を使って正当化するのでしょうか。

この幻を見たエゼキエルは畏怖の念に打たれたことでしょう。エホバが組織を完全に掌握し、聖霊を通して、その働きを導いておられるのを見たのです。エホバの組織の天的な部分が活動していることを示す、何とも見事な描写です。
(p24)

 もうギャグで書いているんじゃないかと思えてきました。エゼキエルは「エホバが組織を完全に掌握し」ているのを見たそうです。エゼキエル、ほんまにそんなん見たんかー。ほんまにそんなん思ったんかー。

エホバはダニエルに、ご自分の組織が活動し、ご自分の目的を成し遂げていることを知ってほしいと思われました。
(p25)

 エゼキエルに引き続き、ダニエルも登場です(苦笑)。

ダニエルはさらに、「人の子のようなものに」イエスに、エホバの組織の地的な部分に対する監督権が与えられるのを見ました。
(p25)

 ダニエルは「イエスにエホバの組織の地的な部分に対する監督権が与えられる」のを見たそうですよ。ほんまにダニエルそんなん見たんかー。そんなん見たってかいてあったかー。なんて不自然な挿入だろう。ギャグで書いているのかと本当に思える。子供でも変だとわかるんと違うかなぁ。

エホバの組織の目に見えない部分に関するこの幻は、わたしたちにどんな影響を及ぼすでしょうか。(中略)...謙遜にさせられるはずです。

 意味のわからないことを言い続けてきましたけれど、本音が見えてきましたね。本音は「組織(ものみの塔協会)に対して、謙遜にならねばならない、ということに気がつくでしょう。」でした。

エホバの組織についての黙想は、行動へと動かす力があります。
(p25)

 なんでしょうか。エホバの組織についての黙想っていうのは。僕が筆者なら、神とイエスについて考えてほしいって書くだろうなぁ。なんでそんなに、エホバの組織について、黙想させたいの?

わたしたちも、エホバの組織の目に見えない部分を垣間見るとき、畏怖の年に満たされ、行動へと駆り立てられるはずです。組織が活動し続け、エホバの目的を成し遂げることに専念している様子を熟考するなら、何と強い動機付けが得られるのでしょう。
(p25)

 もうここまでくると、組織崇拝、組織信仰という程度まできちゃっていますね。いったい統治体は、僕たちに、何を崇拝させたいのでしょうか。神のみ子イエスはどこへいってしまったのでしょうか。こんなものみの塔の内容は、いっこくも早く改善されることを望みます。