ものみの塔研究考察「エホバの組織の地的な部分について」

 僕たちはときおり「エホバの組織の地的な部分」という意味不明な響きを持つ言葉を目にします。もちろん聖書にはこんな言葉は登場しないので、ものみの塔協会の造語です。ものみの塔協会は、エホバの証人に対して「エホバの組織の地的な部分」に過度に注目させ、感謝させ、賛美させようとします。これは、露骨には行われず、少しづつ長い期間をかけて浸透させようとします。

 その結果、自分はエホバを崇拝していたと思っていたのに、いつのまにか「エホバの組織の地的な部分」を崇拝してしまっているという結果に陥っているエホバの証人は、本当に多いです。特権をつかまされ、削除を恐れ、いうとおりにしかできず、心では不満を抱えながら、逃れられず、いつのまにか、ものみの塔協会の術中にはまっているのです。

 長老になり、状況から逃れられず、過労や圧迫から自殺を選んだというコメントも見ました。自殺したり、鬱病の症状が深まる前に、長老なんてつまらない特権は捨ててください!

 もし僕たちが本当に神の賛美者であるならば、神の言葉ではない「エホバの組織の地的な部分」というものを、拒否しないといけません。神エホバは、そのようなものにしたがっていくようにとは言っておられないからです。

 さてものみの塔を見ていきましょう。でたらめのオンパレードです。

エホバはみ子を通して、ご自分の組織の目に見えないと調和して機能する地上の組織の取り決めを確立されました。(中略)...目に見える取り決めが必要なのはなぜでしょうか。
(2013年4月号p25)

 さてイエスがまったく語っていないし決めてもいないことを、エホバがイエスを通して確立されたと述べることはなんと罪深いことでしょうか。それを決めたのは、ものみの塔協会という人間の組織に過ぎません。人間の組織が語ったことを、神が語ったことに摩り替えることは、なんと恐ろしいことでしょうか。神の権威を借りた支配という意図が、露骨に見えてきます。

 なぜ取り決めが必要かという理由がみっつ述べられます。要約すると以下になります。

  • 地のもっとも遠いところにいくから
  • その人に霊的食物を与えるため
  • 集まってのべ伝える業を学べるようにするため

 しかし、僕には、しっかりと組織されていなければならない必要性についてはわかりません。「エホバの組織の地的な部分」を持たない他のキリスト教も他国で、その数を増やしているではありませんか。ですから、このみっつが必然的な理由を持つということはないと思われます。

ではエホバの組織が設けた取り決めに対する支持を、どのように示せるでしょうか。ひとつの大切な方法は、エホバとイエスから信頼されてこの業の指導に当たる人たちへの確信を保つことです。
(2013年4月号p25)

 でました。人間崇拝。人間への確信。長老と巡回監督の権威を高める言葉。統治体の権威を高める言葉。子供たちを犠牲にする言葉。どれほどこの方針が、加害者と被害者を多数生み出してきたかということは、他のブログを読めば明らかなのに、エホバとイエスの権威を借りて、統治体が自分自身の権威と立場を守るためだけに、このような内容の記事が書かれます。非常に残念なことです。記事全体はほんとうに薄い内容で、結局この記事でいいたいことは、これにつきます。

 僕は、個人の信仰、あなたの信仰を大切にしてほしいといいたいです。もう、たくさんの人に振り回される信仰ではなくって、あなたのイエスと神に対する信仰を築きあげてほしいです。安易に助言する人たちは、あなたの人生に対して何の責任もとってくれませんよ。責任を問われたときは、逃げる手段が用意されていますよ。だからもう、いつでも、自分の信仰で生きていくことを選んでください。そうしないと、後悔しますよ。

 長老、巡回監督、統治体は他の人の信仰を変わりに決定するという愚考を犯さないでください。決めておきながら、何の責任も取る気もなく、圧迫しておきながら、単なるアドバイスという巧妙な手口を捨ててください。個人や家庭の決定を、長老が決めてはいけません。権威を用いて、圧迫してはいけません。もっと基本的な愛を知るようになってください。

 取り決めによって生きるのではなく、愛によって生きましょうよ。