ものみの塔研究考察「組織の歯車として利用したいというものみの塔協会の意図について」
研究用ものみの塔の傾向についてひとつ述べるとすれば、組織賛美と人間賛美にあふれているということです。人間賛美というのは、組織が与えた特権を享受する人たちを誉めたたたえ、その人を賛美するということです。組織の歯車として働く人が注目を浴び、誉められます。
子供たちはないがしろにされ、イエスの言葉は見つからず、休むことも考慮されず、ただただ、組織の歯車として働く人と組織に対して賞賛が語られます。今日はこの点に注目して、2013年4月号の「より重要なことを見極める」の後半を読んでみましょう。
この意図を見抜くことができれば、ものみの塔研究のおかしな部分を自分で自覚して読めるようになります。
世界中で経験のある長老たちが、自国での王国を宣べ伝えるために、また業に励みをつけるために任命されています。
(p25)
長老という組織が与えた特権を持っている人に注目させています。
1世紀に指導の任に当たった兄弟たちのように、今日の宣べ伝える業を監督する長老たちも「み言葉の奉仕」に専念します。
(p25)
見てください。この専念しますという他人事の言葉を。これを書いているのは、ものみの塔協会。専念するの会衆の長老です。長老の平安については、考慮が入れられず、ただただ組織の歯車として専念することが誉められています。長老たちはうまく言葉に乗せられて利用されています。
多くの人の目には留まらなくとも、絶えず行われている仕事があります。出版物、集会、大会のための霊的食物の準備です。
(p26)
さてここでは、ベテルで働く人たちの動きに注目させています。つまり、ベテル奉仕者という組織が与えた特権を持っている人に注目させています。子供たちやイエスについては考慮されず、ベテルで働く人の平安についてはまったく触れられません。一生懸命組織の歯車として働く人が、ものみの塔協会から見て価値の高い人です。しかし、人間の観点から見て価値の高い人は、神から見るとどうなのでしょう。その特権の価値はくずのようなものかもしれません。
たとえば、王国会館や大会ホールの建築の援助、自然災害の被災者や医療上の緊急事態に直面している人たちの援助、各種の大会を組織する仕事、神権的な種々の学校で教える仕事なえどのため、幾千人もの奉仕者が働いています。
(p26)
ただただ、組織が取り決めた仕事に従事する人への賛美が語られます。そこには、普通の信仰を持つ、普通の子供たちについては、まったく忘れられ、組織が取り決めた仕事を行っている人が、ただただ立派なのです。ものみの塔協会が望んでいるのは、個人の信仰を育てることではなくて、組織の歯車として組み込むことです。歯車であることに立派さを感じさせ、望んで歯車になる人を増やすことです。
エホバの組織の働きについて考える時間をとっていますか。
(p26)
組織崇拝、組織信仰。組織の歯車として働くことを喜びと感じさせることへの誘導。イエスへの信仰の腐敗。偽りの崇拝。
エホバがご自分の組織を通して成し遂げていることを黙想するのは有益です。
(p26)
組織を崇拝させることへと誘導させようとするものみの塔協会。ものみの塔協会は、あなたの体と信仰を気遣うことではなくて、組織の歯車として利用しようとしています。特権をつかまされて喜ばされると、大変なことになりますので、その前に僕は警告しておきます。
極めて重要な宣べ伝える業にいっそう注意を払えるよう、生活を簡素化できますか。あるいは気を散らすものを減らせますか。
(p26)
さてこれは、あなたのために言っているのではくて、組織の歯車として働くのに好都合だからいっていますよ。普通の子供たちの、普通の信仰に対する考慮はまったくされていないし、奉仕する人の体のことが、ぜんぜん考慮されていません。僕なら「自分のできる範囲で、体に気をつけてね」といいたいです。
ここ数ヶ月で、一番ひどい記事でした。今週終わり。